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逆さの樵面のあらすじ・感想まとめ – 2chの怖い話

2chの怖い話・逆さの樵面

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逆さの樵面とは・あらすじ

樵面(きこりめん)とは、2chの怖い話スレ「洒落怖」に投稿された、地域に根差した神楽文化に通じる逸話である。

神と一体になり神を奉る神楽舞。投稿者の住んでいる地域で催される「千羽神楽」では、独特な面が使用されていたのだという…。

起:千羽神楽

この話は投稿者が伝え聞いた話であり、地名や人物名は全て仮名である。投稿者の生まれた村は合併によって新しい名前に変わったが、「千羽神楽」という名前は残っているという。

千羽神楽は室町時代から続く夜神楽(夜に行われる神楽)で、4つの家が継承していた。だが今では1つの家を除いて家系が途絶えてしまい、若者不足もあって誰でも舞太夫になることができるそうだ。

もともと4家に神楽を伝えたのは熊野より来た日野家だった。当時の当主・日野草四郎篤矩が神楽面を村に持ってきたのだが、その面がのちに村に悲劇をもたらすことに…。

神楽面は舞太夫が人から「鬼神」や「魔物」といった人外へと変わるための装置であり、古くから面には不思議な力があると信じられてきた。千羽郷の古河伝介という役人が江戸時代中期に記した『千羽山譚』には、「翁の面は怪力を持ち、複数の面を同じ行李(こうり)に入れると、他の面を食い破ってしまう」という記述が残っているそうだ。

そのため、神楽面は決して粗末に扱ってはいけないとされてきた。

承:失われた神楽舞の復活

室町時代より続く千羽神楽だったが、その歴史の中で4つの演目と共に面が失われてしまった。その後、大正時代に高橋家という旧家の土蔵より、2つの神楽面が出てくることになる。

この神楽面の発見をきっかけに、失われた舞を復活させようという気運が高まり計画が練られていた。しかし面はあっても舞が分からない。そんな折、計画を主導していた当時の座長である、森本弘明氏が不思議な夢を見た。

森本氏が言うには、夢の中で暗闇の中で佇んでいると、篝火(かがりび)が灯り暗闇の奥から神楽面をした人物が歩み出てきたそうだ。よく見るとその神楽面は、高橋家の土蔵から発見された「山姫」と呼ばれる面だった。

その人物は「これより、山姫の舞を授ける」と言うと、静かに舞いだす。森本氏はこれはただの夢ではないと思い、必死にその舞を覚えたそうだ。舞が終わり辺りが暗くなると、また篝火が灯った。

今度は鬼神のような面をつけた人物が「これより、火荒神の舞を授ける」と言い、激しい舞を踊りだす。その面も高橋家の土蔵から見つかったものと同じであった。

そして三度目の篝火が灯る。今度は面を着けていない人物で、初老の男性に見えた。その男性は「これより、萩の舞を授ける」と言い、舞いはじめる。

いずれも人間が踊っているとは思えないほど情熱的で、神々しい舞だったという。目が覚めた森本氏は試行錯誤を繰り返し、見事3つの舞を蘇らせた。

しかし失われた舞は4つ。最後の一つは「樵の舞」という。結局、樵の舞に使われる樵面だけは高橋家の土蔵から発見されず、舞も失われたままであった。

転:呪詛を撒き散らす樵面

時は流れ昭和40年、投稿者の父が舞大夫として手解きを受けたばかりの頃。あれだけ探しても見つからなかった樵面が見つかったのである。

樵面が見つかった場所は矢萩集落の土谷家という家であった。投稿者の父が急いで駆けつけると、何やら土谷家の姑と役場の男が言い争っている。どうやらその日の朝に、役場に「樵面を隠している家がある、土谷家だ」という匿名の電話があったそうだ。しかし、土谷家の姑は樵面の存在を認めない。

土谷家の姑と役場はしばし言い争っていたが、とうとう土谷家側は樵面の存在を認め、屋敷へ上がれることとなった。姑は玄関から一番奥の位置にある奥座敷へと案内する。

姑が奥座敷の襖を開けると、柱に樵面が飾られているのが見えた。しかし飾り方が異様で、樵面は「逆さまの状態で両目の部分を釘で打ち留められていた」のである…。投稿者の父は、何か黒い妖気が廊下まで漂っているのを感じたという。

姑は、「座敷の中に決して入ってはいけない」と言う。樵面が釘で打ち付けられているのを見た古参の舞太夫は「なんてことをするのだ」と姑に詰め寄り、役場の職員は座敷の中に入って樵面を外すと言い出す。

すると姑は強い口調で「目が潰れてもですか」と言い放つ。姑曰く、樵面は強力な呪いを撒き散らしており、座敷に上がった人間を失明させるのだという。

座敷に入らないことには樵面を外せない。しかし入れば失明する。ゆえに、土谷家では明治時代より樵面を座敷の柱に打ち付けて放置していたそうだ。

舞太夫の一人が、隣家の目の見えない太郎坊に面を取らせればいいと提案した。しかし姑は暗い顔で首を振り、樵面の縁起を語り始めた。

神楽は日野家が4家に伝承して村に根付いたとされているが、実は土谷家が日野家以前に千羽神楽を伝えたのだという。だが後から来た日野家にその立場を追われ、山姫などいくつかの演目と共に面も奪われてしまう。くだんの樵面は、土谷家の祖先伝来の面であるそうだ。

この過去により土谷家は4家による継承が廃れた後も、舞大夫を出さないしきたりであった。しかし江戸時代の末期に、とうとう土谷家から舞大夫を出すことになってしまう。

結局、土谷甚平という人物が樵面を着けて踊ることとなった。しかし、その舞大夫は樵面を着けると狂ったように村中を走り、「土モ稲モ枯レ果テヨ。沢モ井戸モ枯レ果テヨ」とこの世の人間とは思えない声で叫んだのだ。そして面の上から自らの両目を釘で打ち、崖から飛び降りて死んだという…。

舞大夫の死体から樵面は回収され、土谷家の柱に逆さまにして打ち付けられたそうだ。村はその年に未曾有の飢饉に見舞われた。また「戸口に影が立った家」には死人が出るようになったそうだ…。

結:座敷で舞う人ならぬもの

面には神が宿るもの。樵面に宿った神に別の神の舞を踏ませたことが、樵面の怒りを買ったのだ。村中に呪詛を撒き散らしたのは、いわば日野流神楽への土谷流神楽からの復讐なのだという。そして樵面は未だに奥座敷から村を呪い続けているのだ…。

姑は語り終えると、「太郎さんはいけんよ。次は命がないけんね」と言った。これは太郎坊が以前に座敷に入ったことを意味していた…。

投稿者の父親たち一同は土谷家から離れ、どうすればいいか近くの神社で協議することに。その中で90歳ぐらいの老人が、「人に外せないなら、人ならぬものが外せばいいと」と名乗りを上げた。

再び土谷家を訪れた一同。控えの間から、白い布を羽織り山姫の面を着けた老人が現れると、座敷は異様な雰囲気に包まれる。古来から面をつけて踊る舞大夫=鬼神や魔物が踊っているとされてきたように、老人は人ならぬものとなって踊った。そして老人が樵面に触れた途端、面の両目を打っていた釘がぼろぼろと崩れ落ちた。

老人は、樵面を携えて座敷から出てきた。「もう舞うことはないと思っていた」と言いながら山姫の面を外す。実は、その人こそが夢のお告げによって3つの舞を蘇らせた森本弘明氏だった。奇しくも、『山姫の舞』『火荒神の舞』『萩の舞』の3つの舞を取り戻した森本氏により、残る『樵の舞』も蘇ったのである。

取り戻された樵面は、土谷家ゆかりの神社に祀られることになった。樵の舞は演目として催されることはなかったが、土谷家には密かに伝わっていたのでこれにて4つの舞が蘇ることになった。

千羽神楽の中で、樵は山姫と恋仲にあるとされてきた。しかし、土谷流と日野流では同じ舞でも演目が異なっており、土谷家に伝わっていたのは『樵の舞』だけであったため、本当に樵と山姫が恋仲だったのか分からなかった。

舞を踊った森本氏は、舞の中で、山姫が樵を愛していると感じたそうだ。愛し合う仲の山姫の面を着けて舞ったことで、樵面の怒りが鎮まり、奥座敷から出すことが出来たのだろうと森本氏は語る。

投稿者が生まれる数年前になるが、この出来事の後、森本氏の家の戸口に影が立っているのを多くの人が目撃したという。そしてその日は、1世紀に及ぶ長い人生を送った舞大夫の大往生の日であった。

逆さの樵面を読んだ人の感想

神楽に使われていたお面というのは、それだけでも怖いイメージがあるので、樵面が出てきたシーンでは「ヤバイ!これが災いをもたらしそう!」と身構えてしまった。柱に打ち付けられた飾り方も恐ろしさを増していた。でも最終的には「土谷家と日野家の争いから呪いが出来上がったのかな?」と理解したが、内容的には少し難解だったような気がする。ただ面をモチーフにしていて話には引き込まれるし、怖い話にしては最後の終わり方はキレがいい。山姫を想う恋心から樵面は鬼神に成り果てたのだと思うと、怖いというよりも切ない話だなぁと思った。

日本の伝統文化、その呪いを題材にすることで、ストーリー自体がとても格式高くなっている印象を受けました。土谷家からは舞大夫をなさないというしきたりを守らなかった結末、舞大夫が樵面をつけた途端に踊り狂い面の上から自らの両目を釘で打ち付け崖から飛び下りて死んだ場面が目に浮かび、残酷な呪いの恐ろしさに身震いがしばらく止まらなかったです。愛し合う仲の山姫の面をつけて踊ったことで樵面の怒りが鎮まったのではないかというくだりが説得力があり、この物語の結末を上手く締めくくっていると感じました。

仮名ではあるが、具体的な名称が登場することで、土着の湿度を持った怖い話のテイストを崩さず雰囲気を保っており良いと感じた。全体を通した恐怖の度合いはさほど強くないが、「太郎さんはいけんよ。次は命がないけんね」という台詞のところでまずゾクッとさせられた。前半の神楽の演目復活への流れと、樵面がもつ呪いのいきさつ、恋仲の面と引き裂かれていたがそれが解消したことにより解決したという流れの描写はなかなか知的で美しさを感じさせるものになっている。その美しさの中の最後の一文をどう受け止めるかで物語の印象は変わってくるだろう。きれいな文章で読後感は悪くない。面を逆さまにする意図についての記述があれば親切ではあったかもしれない。

室町時代に勢いのあった日野家が土谷家から神楽面を強奪し、当時の日野家の家臣4人にそれぞれお面を褒美として分け与えたのだと思う。その後、時代とともに千羽神楽の文化は忘れ去られ、歴史の文献に残っている程度だったが、ふとしたことから2つのお面が見つかる。と思っていたが、結末は樵にはものすごい怨念が有り、それを鎮めるためには山姫が必要だということ。もう一つは山姫の面をつけて舞を舞った人物はその命と引き換えに樵の怒りを沈めることが出来るということ。そう考えると残り2つの舞の意味はなんだろうととても考えてしまいます。

この投稿者の村に日野家が4つの神楽を何のために持ち込んだのか、日野家は土谷家から樵と山姫を略奪し離れ離れにすることで村に災いを起こそうとしたのか、などと考えてしまいます。4つの舞を終えることで村への呪いは解けたように感じるが、舞を舞うことによって樵の呪いを森本氏1人が被るような形で丸く収まったのだと思うし、現に最後に書いてある通り森本氏の家の戸口に影が立っていたということを考えると納得がいく。神社に祀られた面は今後、決して不用意に扱ってはいけないし、舞も封印することによってこの村は平和が保たれるのだと思いました。

「逆さの樵面」を読んで怖いという感じは受けませんでした。昔から伝わる言い伝え、伝承のようなもので、地域に根差したものの一種だと思います。本当にあった出来事であれば、逆さの樵面を柱から外したお爺さんのようにきちんとした知識があれば呪いといったモノでも避けることが出来るのだと思いました。古くから伝わる祟りや呪いといった話しを怖がるのではなく、その裏に隠された真実やら意味をきちんと理解して受け入れることが大切なのだということを伝えているような気がします。

もともと面は4つでセットのものであり、最初に伝わった際に4つの家がそれぞれ繁栄していたため、4つの演目を行える状態であったから投稿者の生まれた村では何事もない日々が送れていたと思う。だが家系が途絶えた際に4つの面で神と一体になり神を奉る神楽舞が行われなくなったことにより、樵面の力が制御できない状態になったのだと思います。樵と山姫はその後ゆかりの神社に祀られると書いてあったが、森本家の戸口に影が立っていたのは何を意味するのかとても考えてしまう。

ぞっとして怖いなというよりも、なんだか神々しい話だなという印象でした。本当にあったのだとしたら、神様を信じていないと理解できない話。よく田舎には、昔から伝わる儀式などがありますが、それを軽んじてはいけないなと思いました。実際に主人公の父親が感じたという黒い妖気というものがあるのなら、それにあてられていたらやっぱり失明していたのでしょうか。助けてくれた人がいたからよかったけど、もしいなかったらどうなっていたのか、など考えるほど不安になる話です。

日本の歴史的文化として有名な能や舞が、怖い話のテーマとして設定されているのが斬新で良かった。特に樵面というのは人間の顔を模したものでそれ自体にちょっと不気味な感じがあるので、それを逆さまにして目に釘を突き刺して飾っているという恐ろしい光景を頭のなかで思い浮かべたときにかなりの恐怖を感じた。この樵面を外すためには「人ならざるもの」に頼るしかないという解決方法も昔ながらの知恵が役に立つ感じがあり、怖い話なのに最後は感心のほうが大きかった。

投稿者の恐怖体験のようなものかと思いきや、骨太の伝承物語だった。ただの経験談とは思えぬ名称や歴史の細やかさ、それがまさに地域に脈々と受け継がれていった伝承の証なのだろう。そして分かりやすい起承転結や、教訓めいたものが含められていないところも言い伝え的である。しかし「人に外せないなら、人ならぬものが外せばいい」となった時には物語的なものを感じたが、同時に震えも感じた。鬼神が宿るというのが見事な伏線となっていて、オチはまさに物語的ではあるが、物語的な出来事であったからこそ、子々孫々と伝えられていくというのもまた真実なんだろう。

怖い話というよりは民話や伝承といった感じで、あまり怖いという感覚も無く興味深かったです。グロテスクな人死に描写も無く、幽霊や現実の人間だとかが原因の話でもなかったからでしょうか。あまり身近に感じられる話でもなかったので、怖い話が苦手な人でも楽しめるのではないかと思います。神楽や舞の面に関する話だともっとえげつない話もありますし、神が関わった話だともっと理不尽でどうしようもない話も多くあるので、神様の所業、わりとマイルドに感じてしまいました。

「太郎さんはいけんよ。次は命がないけんね」のセリフを聞いた時にゾワっとしました。この少し前に座敷に上がった人間は失明するという前フリがあり、ならばすでに失明している太郎坊に面を取りに行かせればいいと舞大夫の1人が進言しました。これを聞いて、なるほど!それなら問題はない!と思ったのに、まさか太郎がすでにその被害に遭っていたとは。太郎の事を太郎坊と呼ぶぐらいですから、子供が大人の言う事を聞かずに座敷へ上がってしまったんでしょう。そんな子供のいたずらすら許さない面の呪いに寒気を感じました。あとは土谷甚平さんの所でも恐怖を感じました。まるで映画のワンシーンのよう。両目を釘で打つとか、想像するだけでブルブルっと震えます。無事呪いが解けたみたいで良かったですけど、怖い話でした。

2chの怖い話・逆さの樵面

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