服部義史の北の闇から~第1話 薄野の隙間~
会社の先輩である樋口さんはお酒が大好きな人。
その一方、全然強くはないので毎回記憶がなくなり、一緒に飲み歩いた人達を困らせることが日常となっていた。
十数年前のこと、木村君は会社の人と薄野へ足を運んだ。
一次会の居酒屋で、案の定、樋口さんは既に泥酔状態になっていた。
「樋口さん、もう帰った方がいいんじゃないすか?」
「なぁ~に言っれんろぉ~。こぉれからっす、次っす次ぃ~」
二次会をスナックにしようということになり、通りを皆で歩く。
「あ、ちっとしょんべん行っれきますわぁ~」
職場の先輩や同僚は面倒臭くなっていたので、後輩の木村君に全てを任せて先に店に向かってしまった。
「樋口さん、どこ行くんすか? コンビニはこっちですって」
「いいろぉ~、もう我慢できましぇんので、ここれいいっす」
そう言いながら、ビルとビルの隙間にスルスルと潜り込んでいく。
「ヤバイっす、人通りも多いから拙いっす」
木村君の声を無視するように用を足し始めた。
慌てて人目に付かないようにと立ち塞がる。
「樋口さん、早くしてください」
小声で呼び掛けるも、用を足している音は一向に収まらない。
(長いんだって、もう……)
木村君は苛つきながら待ち続ける。
既に三分以上は出し続けているようだ。
「もういい加減にしてください!」
つい声を荒らげた瞬間、ぴたりと音が止んだ。
漸く移動できると思ったが、樋口さんは一向に出てくる気配を見せない。
「樋口さん、樋口さん?」
ビルの隙間を覗き込むと、樋口さんは直立した状態で動かない。
(寝てんじゃねぇのか? この馬鹿……)
木村君は無理矢理に引き摺り出そうと試みた。
狭いスペースであることと、脱力している状態の樋口さんを抱えて出ることは結構な労力を伴った。
それでも何とか通りまで出てくると、丁度通りかかった女性がこちらを見て悲鳴を上げた。
何が起きているのか分からない木村君は動揺する。
「警察を呼んでーーー!!」
誰かが発した言葉に、あっという間に野次馬ができる。
「お前がやったのか!?」
「人殺し!」
覚えのない言葉に樋口さんはうまく言葉が出せない。
「な、な、何だって言うんですか?」
衆人の視線の先を見ると、どうやら樋口さんの腹部を見ている。
木村君が確認すると、白いTシャツの右脇腹辺りから、赤い血の染みがずぶずぶと広がりつつあった。
「樋口さん! どうしたんすか! 大丈夫すか!」
丁度そのタイミングで警察官が到着した。
木村君はその場から引き剥がされ尋問を受ける。
話の内容から、どうやら木村君を傷害の犯人と決めつけているように思えた。
「俺じゃないって! 樋口さんを殺す意味がないって!」
必死に訴えていると、樋口さんの意識確認をしている警察官が他の警察官を呼び、ぼそぼそと何かを話している。
「んぁ……」
そのタイミングで樋口さんが目を覚ますと、色々と話し掛けている。
木村君も呼び寄せられ、再度事情を聴取された。
「まぁ、めっちゃ怒られましたよ。悪戯にしても悪質である、って……」
警察官が樋口さんのシャツをたくし上げてみると、身体には傷口どころか一滴の血糊すら付いてはいなかった。
当然、Tシャツに刃物が刺さったような穴も開いておらず、樋口さんは一切の怪我をしていなかった。
「樋口さんの話ですと、ションベンをしていたら脇腹に強烈な熱さと痛みを感じて訳が分かんなくなったらしいんです。で、目が覚めたら警官や野次馬に囲まれて、そして怒られたって……」
結局、その日は二人とも二次会には参加せずに帰宅した。
翌日、出社した木村君は、上司や先輩に事情を説明する。
完全に嘘だと思われ、「面倒臭かったんだろ」などと嫌味を言われる中、一人の上司だけが場所を聞いてきた。
「ふーん……」
暫く考え込むような素振りをした後、ぽつりと呟く。
「確かな、もう数年前位になるとは思うが……」
ヤクザ者が立ちションベンをしているときに、チンピラに刺された事件があったという。
そのヤクザ者が生きているのかどうかは分からないが、たまたま通りかかった上司は殺伐とした現場に居合わせてしまったという。
「これってやっぱ、そういうことなんですかねぇ」
木村君は同じ目に遭わないようにと、移動中に樋口さんがトイレに行きたいと言い出したときには、無理矢理にでもコンビニへ連れて行くようにしている。
(完)
著者プロフィール
服部義史 Yoshifumi Hattori
北海道出身、札幌在住。幼少期にオカルトに触れ、その世界観に魅了される。全道の心霊スポット探訪、怪異歴訪家を経て、道内の心霊小冊子などで覆面ライターを務める。現地取材数はこれまでに8000件を超える。著書に「蝦夷忌譚 北怪導」「恐怖実話 北怪道」、その他共著に「恐怖箱 怪書」「恐怖箱 怪画」など。
★「北の闇から」は隔週金曜日更新です。
次回の更新は6/5(金)を予定しております。どうぞお楽しみに!