「片町酔いどれ怪談 」営業のK 第2回 ~彷徨い続ける~
その話を聞いたのは、いつもの行きつけのスナックだった。
店に入ってきた俺を見て常連客の1人がこう言った。
「最近、怖い話は集まってるんか? 何なら取って置きの話を聞かせてやってもいいけど……」
まあ、どうなっても知らないけどな、などと付け足され、こちらも後に引けなくなった。
俺は彼の隣りに座ると、とりあえずハイポールを注文してこう返した。
「最近、刺激的な話が少なくて助かりますよ。で……どんな話なんです?」
彼は一瞬、しまったという顔をしたが、すぐに悪戯っ子のようににやりとした。
「よし……覚悟はいいか?」
そう言って聞かせてくれたのがこれから書く話になる。
これはかなり前の話になるが、当時の片町には何軒ものキャバレーが軒を連ねていた。
それこそ大きな店舗からこじんまりした店舗まで。
その中でもかなり大きめなキャバレーに〇〇美という名前で働いている女性がいた。
勿論、本名ではないのだろうが、都合上、〇〇美と書かせて頂くことにする。
そして、敢えて名前を伏せて書く意味もご理解頂けるとありがたい。
〇〇美は30歳ぐらいのとても綺麗な女性だった。
店のナンバー1とまではいかなかったようだが、それでもかなりの売れっ子として働いていた。
知らない方たちの為に書いておくが、キャバレーとキャバクラは違う。
どちらかと言うと、紳士的な大人の社交場であり、ダンスが出来たり生演奏があったりするラウンジのような場所だと思って頂ければ良い。
そして、いつの時代でもホステスさん同士のいざこざはあるらしく、その〇〇美も例外ではなかった。
その頃のキャバレーでは30歳といえばかなり高齢の部類に入るらしく、やはり〇〇美もその店からの引退を考えていた。
援助してくれる常連客の社長連中もいたらしく、彼女としては店を辞め、自分の店を持ちたいと思っていたらしい。
ただ不義理なことだけはしたくなかったらしく、時期を見てひっそりと身を引くつもりだった。
しかし、そのことが店の同僚やオーナーにばれてしまうと、〇〇美への態度はがらっと変わった。
所謂、陰湿なイジメという奴なのだろう。
誰からも口を利いて貰えない……。
在りもしない嘘を言い触らされる……。
〇〇美に付いていた得意客も強制的に他のホステスに回された。
辛いことだが、そこまではよくあるイジメで済んだのかもしれない。
しかし、集団でのイジメの心理は、時として、狂気と化してしまうものなのかもしれない。
ホステスたちは〇〇美に暴言を浴びせ、背後から突き飛ばし、また足を出してわざと転ばせては、その姿を見て大笑いしていたという。
それでも〇〇美は必死に耐えていた。
恐らくそれがまたイジメを加速させる点火剤になってしまっていたのだろう。
ある日、偶発的な事故に見せかけて、頭から熱湯を浴びせられた。
湯は完全に沸騰した状態だったらしく彼女はその場に転げまわって身悶えた。
火傷はかなりの重症であり、髪が抜け落ち頭皮が爛れてめくれあがるほどであった。
しかし、そんな姿を見ても誰も助けてくれる者はなく、彼女はそのままふらふらと店から出て行ったという。
その時の〇〇美の顔は綺麗だった面影は何処にもなく、まさに落武者のような姿だった。
それでも、何とか一番近くにある病院へと自力で向かっていたところを、今度は店側の男性によってレイプされた。
もはや抵抗する気力もなかった彼女は、意識を失うと、後はなすがままに陵辱され続けた。
捨て置かれ、やがて意識を取り戻した〇〇美は、もう病院へ行こうとはしなかった。
彼女が向かったのは、当時片町で一番高かったビルの屋上。
その光景は、誰もが道をあけてしまうほどの異様さだったという。
屋上に着いた〇〇美は、屋上の端までヨタヨタと歩いていくとそのまま地上へとダイブした。
即死だったらしいが、地面に叩きつけられた〇〇美の両眼はカッと見開かれ、その形相は恨みに満ちたものだったという。
身寄りのない彼女は、そのまま無縁墓地に埋葬されたと聞く。
遺書は無かった。
ただ、飛び降りる直前、自分で噛み切った指から流れ出る血でビルの屋上に「怨」とだけ書いた。
そして、その時分かった事実なのだが、どうやら〇〇美は妊娠をしていたらしい。
既に絶命している〇〇美の腹がしばらくの間もぞもぞと動いていたという。
それから、そのキャバレーは怪異や不幸が続き、1年ともたず閉店へと追いやられた。
店の従業員やオーナーだけでなく、お客さんにも不幸が連鎖し、大病や大怪我をする者、あげく死ぬ者までもが続出した。
〇〇美の祟り……。
その店に関わった者全員がそう言って恐怖した。
しかし、店が閉店に追い込まれたのと同時にそれらの怪異や不幸は収束した。
ところが、それで終わりではなかった。
それから、死んだ〇〇美の姿を見たという目撃情報が片町で後を絶たなくなったのだ。
何かを胸に抱いたまま立っているという〇〇美の姿を……。
〇〇美は今でも片町から離れられず、毎夜夜の街を彷徨っているのだろうか。
実際に、その当時のままの姿を見た者もいるらしく、その姿は飛び降り自殺した日の姿そのままだそうだ。
此処まで話を聞き終えて、俺には疑問が残った。
その〇〇美は、何の目的があっていまだにこの街を彷徨い続けるのか?
そして、最初に彼が言った言葉。
「どうなっても知らないけどな」という言葉はどういう意味なのか?
だから、俺は単刀直入に聞いてみた。
すると、彼はこう答えてくれた。
「詳しい理由なんか分かる訳が無いだろ?
ただ、この話を聞いて〇〇美って名前を知ってしまった者は必ずこの街で〇〇美に会ってしまうって話だ……。
特に霊感がある人間は……。あんた、霊感あるんだろ?」
それでは、霊感がある者がその〇〇美の姿を見てしまったら、いったいどうなってしまうのか――?
俺は更に問いかけた。
すると、それまで黙っていた店のママさんが口を開いた。
「この話って、〇〇〇〇〇という店の〇〇美さんの事なの? だとしたら、もうこれ以上、話しちゃ駄目よ!」
思いもかけない発言に、俺はママにこう尋ねた。
「なんか嘘っぽい話だと思って聞いてたけど、これって本当にあった話なの?
もしかして、ママさん、その〇〇美って女の人と面識があるの?」
すると、ママは言い難そうにこう答えてくれた。
「その話はたぶん本当だと思うよ……。
その当時は私も若かったけど、既に片町で働いていたし、狭い街なんだから色々とね……。
でも、この話にはもうこれ以上関わっちゃ駄目!
〇〇美さんに出会ってしまったら生きていられないのよ……。
ほんとに何人かが飛び降りたって話を聞いたし、実際、昔、この店の常連だった人も……」
そこまで言ってママは固く口を閉ざした。
まるで禁忌の言葉でも口にしてしまったかのように。
なんとも後味の悪い話を聞いてしまった、と俺は後悔した。
こんな夜の酒は美味しく感じられないな……。
そう思いながらスナックを出た俺はエレベータに乗って1階まで降りるが、やはり気分がもやもやしてしまい、眠れそうになかった。
……もう1軒だけ寄っていこう。
そう思って歩き出す。何故か風が生温かかった。
あの角を曲がれば、目的の店が見える……。
そう思った時、ちょうどその角に誰かが立っているのが見えた。
古めかしいドレスを着た女が、胸に何かを抱いて佇んでいる。
時刻は既に午前1時を回っており、不景気のせいか歩いている人の姿はまばらだったが、どうやら他の人間には、その女性の姿は見えていないように感じた。
もしや……。
そう思った瞬間、私は強烈な悪寒を感じ、逃げるようにタクシーに乗り込むとそのまま片町を後にした。
それ以来、その女の姿は視ていないが、もしかすると、その時の女性こそが〇〇美だったのかもしれない。
もしもあの時バッタリと出会っていたら……。
そう考えると、今でも恐怖が蘇ってしまう。
やはり、〇〇美は本当に今でも片町を彷徨い続けているのだろう。
俺はそう確信している。