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◆スペシャルコラボ企画◆幽木武彦の算命学で怪を斬る!第1回 島村みつ(『羅刹ノ国 北九州怪談行』より)後編

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算命学で怪談を読み解くスペシャル企画

算命学とは、古代中国で生まれ、王家秘伝の軍略として伝承されてきた占術。恐ろしいほどの的中率をもつその占いは、生年月日から導く命式で霊感の有無、時には寿命までわかってしまうのだとか。

本企画は、算命学の占い師・幽木武彦先生が怪談文庫の中に登場するキーパーソンを占い、怪現象を宿命という観点から読み解きます。

果たして、その怪は必然だったのか?

第1回は『羅刹ノ国 北九州怪談行』(菱井十拳・著)に登場する島村みつを前後編にて取り上げます。前編はこちら

消えた救世主・島村みつの宿命と運勢【後編】

 それでは後編、スタートである。

 なお、本稿が目的とするのは、菱井十拳氏の傑作怪談『羅殺ノ国 北九州怪談行』に登場する明治時代の新宗教教祖・島村みつの激動の人生を、算命学的なフィルターを通じて検証してみる、というものだ。
 ということで、さっそく続きを見ていこう。

◎島村みつ(1831年4月30日生まれ。享年74歳)

 日  月  年

 辛  壬  辛
 未  辰  卯
 ———————
 丁  乙
 乙  癸
 己  戊  乙

※戌亥天中殺

【みつの宿命的特徴】

・生日中殺……親から見るとわけの分からない子供になりやすい
・大半会……人間としての器が大きくなりやすく、世界を相手にしたような生き方に向く

 前編では、島村みつの生まれ持った宿命と、彼女が率いていくことになる新宗教教団・蓮門教の誕生前夜の彼女の人生を追った。

 後編は、その続きとなる。

師・柳田市兵衛との関係

●1877年(明治10年)

 この年も、みつ(46歳)にとっては重要な年だ。
 大きな存在であったはずの師匠・柳田市兵衛が死去している(1877.10.02)。
 みつは市兵衛のあとを継いで本格的に活動を開始。「事の妙法敬神所」などの名で布教をはじめている。(この年、内務省はコレラ予防法を府県に頒布)

 そして、このころ(大運10年間)のみつの運勢を見てみると――

年運 大運   日  月  年

 丁 ★丁   辛  壬 ★辛
 丑 ★酉   未  辰 ★卯
        ———————-
        丁  乙
        乙  癸
        己  戊  乙

 みつの年干支「辛卯」と10年に一度変わる大運干支「丁酉」が、破壊力最大級と言われる「天剋地冲」という散法を発生させている。
 ちなみに「天剋地冲」とは、みつの運勢をサンプルにして説明するなら、

・大運干「丁」(火性陰干)とみつの年干「辛」(金性陰干)が「火剋金」の「七殺」
・大運支「酉」とみつの年支「卯」が「卯酉の冲動」

 というように、天・あるいは精神(十干)もガタガタなら、地・あるいは肉体(十二支)もガタガタと、まさにいいところのない状態。
 しかも1877年そのものを見ても――

年運 大運   日  月  年

★丁  丁  ★辛  壬  辛
★丑  酉  ★未  辰  卯
        ———————-
        丁  乙
        乙  癸
        己  戊  乙

 この年の年運干支「丁丑」とみつの日干支「辛未」にも、同じく「天剋地冲」が発生している。

・年運干「丁」(火性陰干)とみつの日干「辛」(金性陰干)が「火剋金」の「七殺」
・年運支「丑」とみつの日支「未」が「丑未の冲動」

 たとえば、年干支を対社会方面(パブリック)、日干支を私的方面(プライベート)とするならば、この年は公私両面にわたって不吉なトラブルが起こりかねない暗示が出ていた。
 また、大運と年運に回ってきている天干「丁」は、みつの命式では「夫以外の男性(愛人)」を意味している。
 下世話な話ではあるが、こうして見るとみつと市兵衛は「愛人同士」、あるいはそれに類似する関係だった可能性もおおいに考えられ、ちょっと興味深い。

 いずれにしても、この年のみつは「夫以外の縁ある男性」との物語が、なんらかの形で大きなテーマとなる一年だった。
 しかも「天剋地冲」(2つも)。
 そんな年に、みつの人生に大きな影響を与えた師・柳田市兵衛が死去している事実は、偶然だとしたらちょっと不気味である。

 また、その後。
 蓮門教は、信者拡大に貢献した「御神水」や「お籠もり」といった宗教的しかけが世間に問題視されるようになり、ついには死亡事件まで起こして、みつは懲役刑を受けることになる。

 しかし彼女はくじけなかった。

 出所後は、さらに精力的な布教活動を推進。
 教派神道「太成教」に所属して(1872.07.24)、蓮門教の正当性とブランド力を強化することに成功し、教団をさらに大きなものへと拡大していく。

 そして――。

 島村みつ、53歳。

 1884年のこの年から、いよいよ運命の20年間――「大運天中殺」に突入していく。




大運天中殺の恐ろしさ

大運天中殺

・53歳~ 戊戌(庫気刑・破・天剋地冲)
・63歳~ 己亥

「大運天中殺」とは、(基本的には)20年間にわたってめぐってくる後天運の天中殺。
 その考えかた、とらえかたにはさまざまあるが、まず多くの人々にとっては、人生最大の難所と位置づけてよい、ちょっと面倒な時期である。
 そしてみつはと言えば――

・53歳(1884年)
 小倉に「蓮門講社本祠」建立。

・54歳(1885年)
 東京に「蓮門教総本院」という巨大な教会建立。
 しかし相変わらず、問題視された「御神水」は販売しつづけていた。

年運 大運   日  月  年

★乙 ●戊   辛 ●壬 ★辛
★酉 ●戌   未 ●辰 ★卯
        ———————-
        丁  乙
        乙  癸
        己  戊  乙

 大運(戊戌-壬辰)だけでなく、年運(乙酉-辛卯)にも「天剋地冲」発生。

・55歳~56歳(1886、1887年)
 大運天中殺にくわえ、2年間の年運天中殺。
 この2年間に回座する「牽牛星(名誉の星)」と「車騎星(名誉の星)」が中殺されることになるため「名誉中殺」の色合いが濃くなる天中殺だったはずである。

 残念ながら、入手できた年譜(『蓮門教衰亡史』)では、このころ(1886、1887年)のみつに関する記載は見当たらない。
 しかしみつの運勢を見るかぎり、この時期(年運天中殺前の1885年あたりから)にいろいろと、のちに勃発するトラブルの芽が芽吹きはじめた可能性はおおいに考えられる。

・60歳(1891年)
 そしてこの年、作家の尾崎紅葉が蓮門教をモデルにした小説「紅白毒饅頭」の連載を開始。
 御神水問題などで邪教というレッテルを貼られ、排撃運動のターゲットになりはじめた蓮門教と島村みつは、紅葉の連載の影響もあり、ふたたびじりじりと追いつめられていく。

年運 大運   日  月  年

★辛  戊   辛  壬 ★辛
★卯  戌   未  辰 ★卯
        ———————-
        丁  乙
        乙  癸
        己  戊  乙

 この年、みつは還暦なので、年運干支「辛卯」と年干支「辛卯」が律音。

・人生の再出発
・リセット
・やり直し

 といった現象が起きやすくなり、ここでもまた、実際の事件と算命学が示唆する運勢が奇妙な一致を見せている。
 せっかく営々と築きつづけてきた「蓮門教」の屋台骨がぐらつき、再出発をよぎなくさせる出来事だったと読むことができる。
 ちなみに、天中殺というのは決して「凶事」だけの季節ではない。いいことも悪いことも、平時の比ではない激しさでやってくるときである。
 結果的に陽転するか陰転するかは、まさにその人の運勢次第。
 だが、みつの場合は「忌神」が土性(「戊」「己」)という宿命でもあり、天中殺の20年は、ズバリ忌神まわりの20年でもあった。

・53歳~ ★「戊」戌  大運天中殺 + 忌神
・63歳~ ★「己」亥  大運天中殺 + 忌神

 天中殺だけでなく、忌神も回るとなるといささかやっかいだ。

 大運天中殺の盛衰の見方は、もちろん忌神だけではない。
 だがひとつの可能性としては、やはりトータル的に見ると陰転してしまった20年で、そんな教祖みつの個人的な運勢も、教団の紆余曲折に大きくかかわっていた可能性が考えられる。

・63歳(1894年)
 日刊新聞「萬朝報」が「淫祠蓮門教会」と題した排撃キャンペーンを開始(3.28~10.13)。
 親団体として責任を問われた「大成教」は、ついにみつから神道教師の資格を剥奪する。

 これ以降、蓮門教の勢いは急速に衰えていったという。

 なおこの年は、大運が「戊戌」から「己亥」に変わった一年目で、いわゆる「接運」の年。
「接運」の時期には激しい運気のブレがあり、精神面、体調面に「禍」をもたらす、災厄が起こりやすいときである。

・66歳(1897年)
 教団副教長にして、みつの養子でもあった信修が死去。

年運 大運   日  月  年

★丁  己   辛  壬 ★辛
★酉  亥   未  辰 ★卯
        ———————-
        丁  乙
        乙  癸
        己  戊  乙

 年運干支「丁酉」と、みつの年干支「辛卯」に「天剋地冲」が発生している。運勢的に、どうしても前進力がはばまれやすい一年だ。

 そして――。

 毀誉褒貶あった島村みつがこの世を去ったのは、1904年2月13日。
 おそらくボロボロの状態になったであろう大運天中殺がようやく明けてから、わずか8日後のことだった。

 上にも書いたが、大運と大運の変わり目は「接運」と言い、運気ブレブレの危険なとき。
 老年の場合は、命すら落としやすい。
 刀折れ矢尽きた感のある宗教界の風雲児は、こうして時代の表舞台から去り、その後1964年には、蓮門教は完全に消滅したという。

 島村みつ――。

 その魂は本当に、淫祠邪教といわれた蓮門教の復活を、今ももくろんでいるのだろうか。

第1回「島村みつ」完

〈参考文献〉
・羅殺ノ国 北九州怪談行/菱井十拳
・蓮門教衰亡史/奧武則

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著者プロフィール

幽木武彦 Takehiko Yuuki

占術家、怪異蒐集家。算命学、九星気学などを使い、広大なネットのあちこちに占い師として出没。朝から夜中まで占い漬けになりつつ、お客様など、怖い話と縁が深そうな語り部を発掘しては奇妙な怪談に耳を傾ける日々を送る。トラウマ的な恐怖体験は23歳の冬。ある朝起きたら難病患者になっており、24時間で全身が麻痺して絶命しそうになったこと。退院までに、怖い病院で一年半を費やすホラーな青春を送る。中の人、結城武彦が運営しているのは「結城武彦/幽木武彦公式サイト」。

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