【日々怪談】2021年8月4日の怖い話~連隊橋
【今日は何の日?】8月4日: 橋の日
連隊橋
富山県富山市の話である。
太平洋戦争末期の昭和二十年八月二日未明、富山市はアメリカ軍によって空襲を受けた。
周辺への退路を焼夷弾で塞いだ後に行われた市街地への徹底的な爆撃により、富山の市街地のほぼ全てが消失する甚大な被害を被った。これは地方都市への空襲としては、広島、長崎を除いて最も大きな被害だという。
爆撃の後、火災に見舞われた人々は、富山市を南北に流れる神通川へ向かった。
大きな川だから、水は冷たいはず。炎から逃げられれば命は助かる。そう思って川を目指し、炎に追われて橋から水面に飛び込んだ。
神通川には、戦車が通れるようにと設計された、通称〈連隊橋〉という大きな橋が架かっていた。橋から水面までは十メートル以上ある。その高さをものともせず、人々は次々に水面へ飛び降りた。
だが人々の期待を裏切り、水温は熱湯のように高かった。
そのため、ここまで逃げ延びた人々は川の水で火傷を負った。
全身に火傷を負った人はそのまま川で力尽きた。
炎に煽られ火だるまになった人も次々に落ちてきた。そのほとんどは水面に届くと同時に絶命しているようで、浮いたまま下流に流されていった。
炎が巻き上がり、あらゆるものを灰にしていく光景を、人々は見守るしかなかった。
終戦後、焼け残った連隊橋の欄干を真っ黒な人影が鈴なりになって歩いていく姿が目撃された。
その橋の中程まで行くと、黒い人影は次々と川に飛び込むのだが、音は一つも聞こえない。そして飛び降りた人は、ついぞ発見されることはないのである。
年に何度もそういうことが続いた。
人数や頻度は減ったが、平成の世になっても飛び降り騒ぎは収まらなかった。
消防や警察も、飛び込み騒ぎがある度に駆り出される。
あの橋は早く架け替えたほうがいい。
そう言われ続けた。
戦後半世紀が過ぎ、老朽化した橋は漸く架け替えられた。
その橋の名を、富山大橋という。
二〇一二年の春から、富山大橋の運用が始まった。
今後も怪異が続くかはまだ分からない。
――「連隊橋」神沼三平太『恐怖箱 百聞』より
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