【日々怪談】2021年6月24日の怖い話~鼻歌
【今日は何の日?】6月24日:ドレミの日
鼻歌
いつもより少しだけ早く仕事が終わった。
電車の座席に座って帰れるなんて久しぶりだった。
駅の改札を出てマンションへの道を歩く。
シャッターの開いている店も往来を行く人影も、いつもより多い気がした。
繁華街を抜けて駅から遠のくに連れて、人いきれが和らいできた。
マンションからほど近い小さな公園の近くまで来ると、特徴のある鼻歌が聞こえてきた。
――ふんふんふーん、ふふん、ふーん。
鼻歌に誘われるように、道端に猫達が集まっていた。
首輪のない野良猫や、散歩途中の飼い猫もいる。
猫の集会をちょっと切り上げてきた、といった風だ。
その猫達に囲まれて小さな背中が見える。
――ふんふんふーん、ふふん、ふーん。
猫達はその丸めた背中の足下に頭を突っ込んで、ドライフードを貪っている。
この近所でも有名な猫おばさんだった。
(久々に見かけたなあ……)
時間帯が合わなかったせいなのか、そういえばこの二~三カ月ほど見かけなかった。
――ふんふんふーん、ふふん、ふーん。
独特な節回しの鼻歌が途切れることなく続く。
イマドキの流行歌ではない。と言って、その旋律は昔の流行歌でもないようだ。
猫達は餌に群がるのか猫おばさんに群がるのか、それとも猫おばさんの鼻歌にでも吸い寄せられているのか。
そんなことを考えながら猫おばさんの丸めた背中をやり過ごした。
エントランスの郵便受けを確かめ、エレベーターへ。
下りてきた空っぽのカゴに入ると、ボタンを押して〈ふう〉と一息吐いた。
ごとん、と動き出したエレベーターの中で、それは聞こえた。
――ふんふんふーん、ふふん、ふーん。
ふんふんふーん……とつられて口ずさみかけて、はたと口を押さえた。
先程聞いた、あの鼻歌。
猫をあやしながら歌う、あの声。
聞こえた。確かに聞こえた。
右耳の、すぐ後ろから聞こえた。
息継ぎをする幽かな吐息すらもはっきりと聞こえる。
猫おばさんが猫をあやす、あの歌声。
背中を冷たい汗が伝う。
その背中は、エレベーターの壁にぴったりと貼り付き、自分と壁の間に隙間はない。
――ふんふんふーん、ふふん、ふーん。
振り向いて、その歌声の出所を確かめたりはしない。
このエレベーターから出た後、猫おばさんの生死を確かめたりもしない。
知りたくもない。
――「鼻歌」加藤一『恐怖箱 百聞』より