【日々怪談】2021年5月16日の怖い話~ハットリ
【今日は何の日?】5月16日:性交禁忌の日
ハットリ
朋美の実家は名古屋にある。
実家、と言っても朋美が小学校に上がる頃に今の場所に引っ越した。
ちょうど弟が生まれた後くらいだ。
「ぶっちゃけ、この家は出るわけです」
話はいきなりストレートに始まった。
「まず、音が凄い。バキバキ鳴ります」
パシ、ピキ、という木が割れるような独特の音が絶え間なく聞こえる。
「そんなかわいいもんじゃないです。パリンとか。バシンとか。ドスンとか。うるさいくらいです」
もちろん音だけではない。
「金縛りですか? そうですね……金縛りに遭ってびっくりしたとかそういうレベルではなくてですね、『今日は久しぶりに金縛らなかったね』『珍しいね、びっくりした』というくらい金縛ります。金縛りまくりです」
大概こうした出る家というのは、誰か一人だけが気づいていて他の家族は誰も信じないといったケースが多いのだが。
「あー、家族全員知ってますよ。うちは両親と私と弟の四人家族なんですが、全員体験してますから。そういうのまったく信じなかった父も、今では『霊はいる!』と確信しちゃう始末です。さすがに家の外ではそんなこと言ってないと思いますけど」
つまりは、そういう家に幼少のみぎりから住んでいたわけである。
朋美が初めてそれを見たのは、引っ越して間もない小学一年生の頃。
この家には、二階までまっすぐに上る急な階段があった。登り口から見上げると、天井が随分高い所に見える。
かといって古い建物だから手すりなどもない。
降りるときも上るときも、足下を確かめながら行く。
だから、それまでは気づかなかったのかもしれない。
この日、階段を数段上ったところで朋美は立ち止まった。
何か忘れ物を思い出したのだったと思う。
段の途中でふと階段を見上げると、人影がある。
階段の上。
そのもっと上。
階段の天井付近に人がいる。
それは天井に〈立って〉いた。
ぶらり、と逆さにぶら下がって朋美をじっと見ている。
「いやあああああ!」
叫んで、それから泣いた。
騒ぎを聞きつけた親が飛んでくるまで、目と耳を塞いで烈火の如く泣いた。
朋美の怯えように両親も驚いたが、ほどなく自分たちも似たような経験をするに至って、娘の怯えを理解した。悩みもした。
が、そのうち段々慣れてきたのか、結局引っ越しをすることもなく「音がする」「金縛った」とぼやきながらもその家に住み続けている。
とまあ、ここまではよくある話。
「私は就職して実家を出て……今はこっちにひとり暮らしですから」
家族と離ればなれだと寂しいでしょう? と聞くと。
「いえ、別に。それより実家を出て何より嬉しいのは、そういうことに悩まされなくて済むってことです。家族には悪いけど」
家族は今も住んでいるんでしょう? と聞くと。
「ええ。だから、実家に帰るのは本当は気が重いんです」
つい先日、久しぶりに実家に帰った。
娘があまりにも実家に寄りつかないので「たまには顔くらい見せろ」という両親のリクエストに応えて、何日か泊まりで帰ることにした。
それまで、久しく「そういうこと」から離れていたが、久しぶりの実家は賑やかに朋美を歓迎してくれた。もちろん、家族ではないほうも、である。
音の類、金縛りの類は「この家のオプションのようなもの」と割り切っていたので、不快ではあっても恐怖を感じることは子供の頃に比べれば少なくなった。
それが久しぶりであっても、あの小学生のときのようなストレートなものはそうそうない、と高をくくっていた。
一日目の晩。
朋美は、久しぶりに〈自分の部屋〉で床に就いた。
――いつもなら、そろそろ音がして、
〈ぱき〉
――そうそう、こんな感じ。
――それから身体が動かなくなって……。
身構えていると、いつも通りに金縛る。
「ああ、実家に帰ってきたんだなあ、って」
そのとき。
朋美は薄暗い天井を見上げていた。
その天井が、動いたような気がした。
〈……うそ〉
幼い頃の記憶が蘇る。
天井は動いている。
確かに動いている。
固唾を呑んでそれを見上げる朋美の身体は動かない。
天井に誰かがいる。
それは間違いない。
四つん這いになって、そこにいる。
両手と膝を天井についた男が、逆さまに貼り付いたまま朋美を見下ろしていた。
身体は動かない。
声も出ない。
「出たよ! 昨夜、久々に出たよ!」
翌朝、興奮気味に家族に報告すると、弟にすげなく言われた。
「俺たちはいつも見てる」
そうなのだ。
今さら、出た見た動けないくらいでは、この家の人々は動じもしなければフックのある話題にすらならない。
「そう言われると、ああそうだっけ、と。この人たち、なんで醒めてんのって思いますけど、この家を出る前の私もこうでしたしね」
やはり家を離れていると「その家の流儀」というものに疎くなるな、と痛感した。
もう一晩泊まって、明日は戻ろうかという夜。
蒲団に入ってしばらくすると、毎夜の定期便がやってくる。
まず、音。
〈パシ、パキ〉
続いて、身体が動かなくなる。
〈ああ、金縛ったなぁ〉
今夜もまたあの天井の男が出るんだろうか?
そんなことを考えつつ、金縛られたままうとうとし始めた。
そのとき、不意に自分の身体に誰かが触れているのに気づいた。
天井に人の気配はない。
こちらの身体はぴくりとも動かない。
だが、朋美の身体を隅々までなぞっていく指の動きは、確かに存在する。
しばらくの間、体表をナメクジのように往復していた指先の気配の後。
朋美のショーツの脇に、熱いものが押しつけられる。
動かない身体を捩って必死の抵抗を試みようとするが、実際には微塵も動くことはできなかった。
それの目的は明らかだった。
朋美を犯そうとしているのだ。
ショーツの上に、脇に、何度となく熱く硬いものが押しつけられる。
それは、ショーツをかいくぐり、〈ぐぐぐ〉と沈み込もうとする。
何度も、何度もそれを繰り返した。
が、奥まで入れることができないのか、入り口辺りに押しつけることを繰り返すばかりで先へは進まない。
そのうち、夜が明けた。
「……やばかったですよ。もうちょっとでやられちゃうところでした。たぶん、天井の男じゃないかな、と。狙われてたんですかね」
ということは、されなかった?
「諦めたんじゃないんですか? 私、その日は生理だったんで。まあ、無事でよかったってことで、ハイ」
――「ハットリ」加藤一『「弩」怖い話3 Libido with Destrudo 』より
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