【日々怪談】2021年7月4日の怖い話~フロントフォーク
【今日は何の日?】7月4日:梨の日
フロントフォーク
一九八〇年代後半のことである。山梨にあるS峡は、当時の走り屋のメッカだった。
走り屋が好む道の条件は色々と難しい。その条件とは、幾つものカーブが重なっているが、ある程度の速度で走り抜けられること。つまり傾斜もカーブもそれほどキツくなく、それできちんと山道であることなのだという。
蒲田さんのグループにとっては、それがS峡だった。
その頃、走り屋御用達の雑誌があった。その雑誌にコーナリングの写真が掲載されると、ステッカーがもらえる。このステッカーが走り屋にとってはステータスなのだ。
蒲田さんのチームでは、そのとき夕暮れのS峡で二台のバイクが競っているという構図の写真を投稿しようと企画を立てた。
まずはリハーサルである。ざっと二台で走り抜け、撮影のタイミングなどを確認した。
ゴールは、広く路肩が取られた所謂〈見物コーナー〉だ。石積みの上に立つお地蔵さんが目印となっていた。
続いて本番だ。
スタート位置に移動。タイミングを見て発車した。
一つ目、二つ目のカーブと順調に走り抜けた。
だが、三つ目のカーブに入ったときに、フロントフォークに違和感を感じた。ボルトが緩んでいるのではないかというようなガタつきだった。
四つ目のカーブでぐぐっと前輪が沈んだ。
何だ? 何の異常だ?
前輪付近を確認すると、伸ばした腕の先から見えるフロントフォークを、白い手が掴んでいた。女だ。ストライプのブラウス。左右のフロントサスペンションの辺りを掴んだまま、身体は風に煽られるようにして右脇に引きずられていた。
蒲田さんはブレーキレバーに指を掛けたが、ブレーキを掛けられなかった。背後から同じ速度で仲間が追いかけてきている。今急に速度を落としたら巻き込んで事故になる。
女は右手を離した。そのまま後方に離れてくれるのではないかと期待したが、その右手をフロントフォークのより高い位置に移動させた。
次は左手。だんだん這い上がってくる。
急な最終カーブを曲がり切るために、ハングオンの状態をキープしなくてはならない。
車体を起こす訳にもいかない。後ろからは仲間が追走してきている。スピードを落とすと衝突する。
動けない。
ついにカウルを乗り越えるように、フルフェイスのヘルメットの視界を女が塞いだ。
白地に青のストライプ。大きめの襟。薄青い顔。
視界が塞がる。パニックになった。
「……楽しそうだね」
フルフェイスのヘルメットの耳元で、そう聞こえた。風切り音とエンジン音でかき消されるような声にも関わらず、はっきりと。
鎌田さんは〈見物コーナー〉でカメラを構えている仲間の横をすり抜けた。そのままバイクごと転倒して路肩を滑った。停めてあった仲間のバイクを次々になぎ倒し、仲間からの怒声を浴びながらカーブの外側の一番奥にある石垣にぶつかって止まった。
倒れている鎌田さんに駆け寄った仲間が、石積みの前に立てられた木の板に気付いた。
その板には、そのカーブが一九七七年にS峡で起きたバス事故の現場であるということが書かれていた。お地蔵さんはその事故の供養のためのものだったという。
その写真は現像に出したが、写真屋が返すのを渋った。仲間が凄むと渋々返してくれた。
写真には鎌田さんのハンドルの前に白い靄が写っていた。
鎌田さんは、実家の屋敷神をお祀りする修験者に写真を見てもらった。
「この写真、何処で撮ったかも俺達には見当が付くし、もうこの場所は近付かないほうが良いよ」
ネガと写真も没収されてしまって、写真は投稿できなかった。
今でもその現場に近付くとおかしなことが続くので、鎌田さんはS峡には行きたくないのだという。
――「フロントフォーク」神沼三平太『恐怖箱 百眼』より