竹書房怪談文庫 > 怪談NEWS > 連載怪談 > 日々怪談(加藤一・神沼三平太・高田公太・ねこや堂) > 【日々怪談】2021年8月29日の怖い話~告知事項あり

【日々怪談】2021年8月29日の怖い話~告知事項あり

Pocket

【今日は何の日?】8月29日:おかねを学ぶ日

告知事項あり

 島田さんが若い頃は本当にお金がなかった。部屋を借りるにしても家賃が一定の金額を越えてしまうと生活が成り立たないのだ。食べ物を選ぶか雨風をしのぐほうを選ぶかという、ぎりぎりかつかつの生活である。
 あるとき島田さんは不動産屋で物件を紹介してもらうときに正直に言った。
「安い物件なら何でもいいんです。雨風がしのげて飯が食えれば、どんなに酷い部屋でも構わないんです。畳が毛羽立っていようが、建物が傾いていて窓が開かなかろうが、そんなことは問題ではなくて。もう安ければ正直な所事故物件でも構いません。自殺現場だろうが殺人現場だろうが、幽霊が出ようが妖怪が出ようが、とにかく雨風がしのげてちゃんと食事が食えるような生活のできる部屋ならどんな部屋でもいい。とにかくできるだけ安い物件をお願いします」
 不動産屋は熱意にほだされたのか、事務所の奥からファイルを持ち出してきて答えた。
「そうですねぇ。安いほうが良いんですか。先程事故物件とおっしゃいましたね。心理的瑕疵物件って言うんですけども。そういう部屋ならお一つ紹介できますよ」
「安いんですか?」
 不動産屋は頷き、うちで扱っている中では一番安いですねと前置きして続けた。
「この部屋では何人か続けて自殺がありましてね。出るんですよ。でもご安心ください。マニュアルがあるんですよ」
「え、何のマニュアルですか?」
「だから、幽霊が出たときのための対処法が書いてあるマニュアルです」
 先程のファイルに挟まれていた、コピー用紙を束ねたような手製の冊子を取り出した。
「一応内見してみられますか?」
 島田さんは応じるほかなかった。軽自動車の助手席に乗ってその部屋に案内された。
 部屋の中は掃除が行き届いていた。事故物件と言われなければ全く気付かない。
「お家賃は色々込みで一万二千円です。このグレードで他の部屋だと四万円になりますから、お安いという点ではこれ以上の部屋はうちでは扱っていませんね」
 確かに破格である。
「分かりました。ここ借ります」
 即答すると、先程のマニュアルを渡された。
「その本にも書いてありますが、もしトイレに出たら、トイレのページを見て、その通りにしてくださいね。ほら、窓のところに塩を盛れって書いてありますでしょう? そうすれば出なくなりますから」
 島田さんは半信半疑である。

 引っ越しが終わった当日から、部屋の中で誰かが喋っているような声が聞こえた。
 おお、早速幽霊が出たか。
 件のマニュアルのページを捲ってみると、意外と詳細に書かれていた。音がする場合、声がする場合、足音が聞こえる場合、幽霊が見えた場合。それぞれに具体的な対処が図入りで書かれている。労作だ。
 マニュアルに書いてある方法を試すと、声はしなくなった。
 島田さんは、とにかく金を貯めて出て行けるまではここで暮らすぞと、腹を括って生活を始めた。そうこうしている間に、だんだんと怪異のある生活にも慣れてきた。
 とにかく何か変なことが起きたら、マニュアルをぱらぱらと捲って書かれている対処をすれば良いのだ。
 だが、ある夜、はっきりとした人の形をした男が、窓から入ってきた。男は島田さんを憤怒の形相で睨み付けた。
 こんなことは初めてだった。慌ててマニュアルを手にしてページを捲ったが、当該するような怪異は書いていなかった。
 焦ってページを捲り続ける島田さんに、憤怒の形相の男が言った。
「どうだ、どうにもできないだろう!」
 それだけ言うと、男は再び窓から外に出ていった。
 翌日島田さんは不動産屋に電話を掛け、マニュアルに不備があると、昨晩の顛末を捲し立てた。その話を聞いた不動産屋は電話口で興奮した口調で言った。
「そんなことあったんですか! それは初耳です。是非もうちょっと住んでみてください。対処法が分かったら教えてくださればマニュアルに書き足しますんで!」
 だが、島田さんは対処法を試行錯誤するうちに面倒臭くなって、結局その部屋は引き払ったのだという。

――「告知事項あり」神沼三平太『恐怖箱 百眼』より

#ヒビカイ # おかねを学ぶ日

この記事が気に入ったら
フォローをお願いいたします。
怪談の最新情報をお届けします。

この記事のシェアはこちらから


関連記事

ページトップ