【日々怪談】2021年5月13日の怖い話~ハチ

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【今日は何の日?】5月13日:愛犬の日

ハチ

 大学四年生の夏休みのこと。有希さんは就職活動も一段落し、一週間の予定で盆休みに帰省することにした。実家に連絡すると、母親がハチが危ないのだと打ち明けた。
 ハチとは有希さんが子供の頃から飼っている柴犬だ。もうだいぶ老犬である。
 有希さんが電話口で驚いた声を上げると、
「あんた、就職活動で忙しいって言ってたし、大事なときだからって言わなかったのよ。動物病院の先生も、もう歳だし仕方ないって……」
 母親はそう口を濁した。
「ちょっと待ってよ! 今すぐ帰るから! 夜には着くから!」
 有希さんはとりあえずの荷物だけを持ち、実家に向けて出発した。普段は乗らない新幹線を使った。

 有希さんがぐったりしている愛犬に声を掛けると、ハチは顔を持ち上げようとした。だが、それももう叶わない様子だった。舌をべろんと出したまま、荒い息を吐くばかりだ。
「ハチ。大丈夫よ。お姉ちゃん帰ってきたからね。大丈夫だからね」
 そう言いながら、身体を撫でる。
 一時間ほどすると、ハチは前脚を伸ばして宙を引っ掻くように痙攣し、息を引き取った。
「あんたを待ってたんだねぇ」
 涙ぐみながら母親が言った。有希さんの目からも涙がぼろぼろ溢れた。
 ハチの亡骸は庭の隅に埋められた。

 翌日、近所が騒がしかった。仁志君という三歳になる子供が一晩行方不明だという。
 警察も出て捜索が始まった。有希さんの父親も山狩りに駆り出された。
 有希さんも山に至る林道の周囲を探した。
 名前を呼びつつ竹竿で草を払いながら探していると、目の端に柴犬が映り込んだ。
「ハチ!」
 紛れもなくハチだった。ハチはお座りの姿勢を取りながら有希さんをじっと見つめると、首を薮のほうに向けた。有希さんの背よりも高い草が隙間なく生えている。三歳の子供では入り込めそうにないと高を括って通り過ぎようとしていたところだった。
 ハチは立ち上がって歩き出すと、藪に融けるように姿を消した。
 有希さんはハチの姿を追うように薮を掻き分け、奥のほうへと踏み込んだ。
 五十メートルも入ったところで不意に草が途切れた。半径五メートルほどの円形の広場になっている。その中心に子供が倒れていた。
 幸いなことに仁志君は息をしていた。だが酷い高熱だ。呼びかけても反応がない。
「誰か! 仁志君見つけました! 息してます! 誰か、救急車!」
 幸い、命は取りとめた。
 仁志君の両親は泣きながら何度も感謝の言葉を述べた。

 帰省して一週間が経ち、東京に戻る日を迎えた。
「じゃあまたね。次は秋口に一度戻ってくるから」
 両親と仁志君の家族に見送られながら、列車は駅を発った。
 気恥ずかしかったが、無事退院した仁志君の元気そうな姿を見ると顔が綻んだ。
 暫く走ると、列車は仁志君の倒れていた林道付近を通りがかった。
 そのとき、犬の遠吠えが聞こえた。
 その遠吠えに、心の中で何度もありがとうと礼を述べた。
 遠吠えは列車が山を通り過ぎるまでずっと聞こえていた。

――「ハチ」高田公太『恐怖箱 百聞』より

#ヒビカイ # 愛犬の日

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