黄泉つなぎ百物語 第二夜「執着」ねこや堂
滝川はある精密機械を扱う工場で働いていた。
年齢も四十代半ばで結婚指輪をしているから、既婚者だと思われているが正確には違う。婚約者がいたのだという。
中学からの付き合いで、大学卒業して就職の一年後には式場の予約も済ませていたのだが、癌を患い亡くなった。結婚を半年後に控えていた。
葬式の日、結婚式で着る予定だったタキシードを身に着けた写真を棺に入れ、骨壷に彼女の指に嵌めてやる筈だった結婚指輪を入れた。二人だけの結婚式を胸のうちに誓った。
そうして、二人の新居となる筈だったマンションに一人住み続けた。心配した家族が引っ越せと言っても一切聞かなかった。
洗い忘れた夕飯の食器が翌朝洗ってあったり、床に置きっ放しにしてあった服が洗濯してあったりと、そこには彼女の気配が確かにあったからだ。
いつまでも一人、そこに住み続ける滝川の様子に思うところがあったのか、彼女の両親が訪ねてきた。
「娘のことは忘れなさい」
あなたはまだ若いんだから、と諭されて思った。
そうか、周りから見れば己はそんなにおかしな様子に見えるのか、と。それからあまり日を置かずに実家へ戻った。
暫くして彼女の両親の訃報が届いた。自損事故だったらしい。
「お姉ちゃんが怒ってるんだ」
葬儀の日、訪れた滝川に彼女の妹はそう言った。滝川が姉のことを忘れられなくても仕方ない、落ち着くまで周りは見守るほうが良いとの妹の主張に対し、両親は「彼を愛していたのなら彼のこれからの幸せを思う筈だ」と一蹴した。
事故はそうやって新居から娘の荷物を引き上げた帰りのことだった。
彼女が望んでいるのはどちらなのか、悩んだこともあったが、後日親戚から持ち込まれた縁談が、翌日にはその親戚自らが血相変えて「なかったことにしてくれ」と撤回するということが何度か続いて考えるのをやめた。きっと彼女はそれを望んでいない。
実際今も彼女が傍らにいるのがわかる。
他の女性と話をするだけで、怒りの感情を向ける彼女の濃密な気配を感じるのだ。
―ねこや堂「執着」―