飯田市に住むK子さんが、亡くなった祖母から生前に聞かされた話だという。
K子さんの祖母――F代さんが二十歳の頃だったというので、今から七十数年前のこと。
ある日、F代さんは母親から使いを頼まれて市街地に向けて歩いていた。その途中、一軒の粗末な家の前を通り掛かったとたん、ぞくりと寒気がした。
なぜだかわからないが、気持ちが悪くて仕方がない。
そこは弟の親友の家だったが、どうしてそんなふうに感じるのか理由がわからない。
が、数歩進んだところで、その訳がはっきりとした。
格子の嵌ったガラス窓に、その家の、おそらく主人とおぼしき中年の男の顔が映っていて、こちらのほうをじっと見つめているのだ。
だが、その顔がなんとも妙だった。家のなかから外のほうを眺めているのだが、顔のサイズが普通の人間の三倍とも五倍とも思われるほど大きいのである。それに窓に入っているのは、すりガラスなのだから、こんなふうにはっきりと見えるはずがないのだ。
気味が悪かったが、急いでいたこともあって、そう深くは考えなかったという。だが、じっと見つめられているようで厭わしく感じ、走るようにして目的の場所に向かった。
帰途は違う道を通って帰ったそうである。
その日の夜、弟に昼間の出来事を話すと、最初のうちは訝しげな顔でそれを聞いていたが、最後には笑いながら、
「そんなわけないさ。だって、あいつの親父さんは大腸カタルを患って入院しているんだもの。きっと姉さんの見間違いだよ」
と、そんなふうにいった。
「だとしたら、あなたの友達だったのかしら」
F代さんがそういうと、今日の昼間は一緒に川へ釣りに行っていたので、友人の家には母親か妹しかいなかったはずだという。
気のせいだったのかと、すっかりそのことは忘れていたが、五日ほど経った頃、入院していたという友人の父親の容態が急変し、亡くなったことを弟が告げてきた。その刹那、あの日、例の家の前でなったようにF代さんは烈しい悪寒に襲われて、なんともいえない不穏なものを感じたのだという。
ところが、それだけでは終わらなかった。
二ヶ月ほど経った頃、再びF代さんは例の家の前を通りかかったが、なるべく見ないようにして通り過ぎてしまおうと思っていた。ところが、前のときと同じようにガラス窓から強い視線を感じる。
見ないようにしようと思うほど、眼がそちらのほうに向いてしまう。ちらりと窓のほうを見てしまった瞬間、きゃっ、と知らず声が漏れ出た。
その家の妻とおぼしき、やつれ果てた女の、またしても異様に大きな顔がすりガラスのうえに鮮やかに浮かんでいる。
あのときと同じように瞬きもせず、紙幣の肖像画のようにじっとF代さんのことを見つめているので、思わず怖くなって駆け出した。
弟が学校から帰ってくるなり、そのことを話してみると、俄かに蒼い顔になって、
「あいつのお袋さん、昨日亡くなってしまったそうだよ。親父さんのことで心労が祟ったのか、台所で首を吊っちまったって」
そうだとしたら、わたしが見たものは、いったいなんだったんだろうね――。
祖母はゆっくりと思い出すように、K子さんにそんなことを話したそうだ。
窓に映った顔を最後に見た日から、ちょうど半年経った昭和二十二年(一九四七年)四月に飯田市の中心部で火災が起きた。
城下町として発展したことで家々が密集しているのと、初期の消火活動に失敗したことで商店街など約六十万平米が焼けてしまう大惨事となったが、そのときに件の家も焼失したという。