【日々怪談】2021年4月29日の怖い話~その目を真っ赤に染めて
【今日は何の日?】4月29日: 畳の日
その目を真っ赤に染めて
山田さんが大学三年生のときに、蔵原さんという女性の先輩がいた。
彼女は卒業のときに、
「私の住んでたアパート、良かったら入れ替わりで住む?」
と声を掛けてくれた。
そのアパートは蔵原さんの叔母が経営しているそうで、山田さんなら家賃は格安で良いとのことだった。
蔵原さんのアパートなら何度かお邪魔したことがある。私鉄の沿線の駅近で、都心に出るにも学校へのアクセスも良い場所だ。
その話に飛びついた。
就職活動に卒論にと、動き回ることの多い時期だ。都心に出るのに二時間掛かる実家からだと、どうしてもフットワークが悪くなる。
蔵原さんがアパートを出るときには、山田さんも引っ越しの荷造りを手伝った。
東南向きの角部屋である。
間取りは南北に六畳の部屋が二間繋がった造り。
2Kの部屋は独りで住むにはとても広く、快適そうだった。退去のときには、確認のために大家である蔵原さんの叔母も来た。
「話は聞いてるわ。クリーニングも入れてないし、畳表も変えてないけど、このままで良いなら、明日からでも入ってきてくれていいわよ」
その大家さんの言葉に甘える形で、その場で入居の手続きを済ませた。
「でもね。一つだけ条件があるの」
大家さんはそう言うと、部屋の東側に置いてある和箪笥を指した。
「あのタンス、使ってくれて良いんだけど、あそこから動かさないでほしいの」
気にはなったが、山田さんは了解した。こんなに良い条件の部屋は他になかったからだ。
最終学年を迎えた。住み始めて暫くは、慣れない一人暮らしと就職活動、そして卒論にも忙しかった。
しかし、夏休みが始まる直前に、山田さんに彼氏ができた。
同じゼミで、降りる駅も同じ。彼の部屋は狭いこともあり、山田さんの部屋で同棲が始まった。
彼氏は、東の窓を塞ぐように置かれている和箪笥を嫌がった。
「あのタンスさ、動かしても良いじゃんか。元に戻しておけば大丈夫だよ」
山田さんは彼氏の言葉に、渋々和箪笥を動かした。明るくはなったが、空気は重かった。
朝起きると、部屋の隅の畳が薄く赤くなっていた。畳に赤い絵の具を擦り付けて、ティッシュペーパーで拭ったような変色の仕方である。黴かと思ってアルコールティッシュで拭いたが取れなかった。
その赤い畳の変色は、夏の間に少しずつ少しずつ広がっていった。
秋になる頃、山田さんは夜中に耳障りな音で目覚めた。
ざくざくというか、ばりばりというか、畳の上から音が聞こえる。猫が畳を引っ掻くような音だ。彼氏は横で寝ている。
ネズミかしら。
白い小動物が隣の部屋で動いているように見えた。眼鏡を掛けて目を凝らした。それは真っ白な掌だった。指が畳に突き刺さっていた。引き抜かれて、また刺さる。
ざりざりと畳を引っ掻くような音が耳に届いた。
立ち上がって電気を点ける。白い掌は、指の先が真っ赤に染まっていた。
掌はすうと消えたが、畳がますます赤くなっていた。
彼氏を起こし、夜中に和箪笥を元の位置に戻した。
だが、その次の晩にも掌は現れた。
神社でお札を買い求めたが無駄だった。
山田さんと彼氏は、結局狭くても彼氏の部屋で生活することになった。
三月になる頃には、畳は真っ赤になっていた。誤魔化しきれるものではない。
退去の際に、大家さんが来て厳しい顔で言った。
「言いつけを守れなかったのね」
いいわ。でもこの後どうなっても私は知らないけど――。
まだ何も起きていないが、蔵原さんからは着信拒否になっているという。
――「その目を真っ赤に染めて」神沼三平太『恐怖箱 百聞』より
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