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【オカルト考察】「某宗派の僧侶なんですが奇妙でゾッとする恐ろしいご依頼を受けました」あらすじ・まとめ・考察【後編】-2chの怖い話

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■インターネットで広まった名作怪談「某宗派の僧侶なんですが奇妙でゾッとする恐ろしいご依頼を受けました」をオカルトマニア煙鳥さんの考察メモを元に前後編に分けて、紐解いていく……の後編! 考察はさらにディープにディープになっていきます! 

前編はコチラ▼

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■出土したものは

 僧侶は、依頼を受けた夫婦の家で話を聞く中、ラップ現象(「バァン」という音)とポルターガイスト現象(窓がガタガタ揺れる)に見舞われる。
 
 が、煙鳥メモはそのくだりを華麗にスルー。
 
 夫婦が僧侶に語るには、畑を耕そうと敷地を掘ってみたところ、庭から奇妙なものが出てきたというのだ。
 
 煙鳥メモは、ここに着目する。 

>最初はその畑の予定地を耕そうと掘り起こしたら、牡蠣殻が大量に出てきたんです。
困ったと思いながら少し別の場所を掘り起こしたら小動物というか鳥の骨が出てきてしまって、
だったら最初の牡蠣殻の場所を深く掘ってそっちに移そうと深く掘ったら
今度は中型の動物、まぁそうです豚です、豚の骨が大量に出て来たんです」

 庭から出てきたのは牡蠣殻と小中動物の骨。
 旦那さん(Tさん)は中動物を「豚の骨」と断定する。
 
 この描写にも実はトリックらしき部分がある。
 牡蠣殻、動物の骨、という言葉は並ぶものの、これらがいつから埋まっているのかのヒントになる描写が具体的にないのだ。近年か、あるいは遥か昔から埋まっていたか、ここに思いを馳せることがないまま、ストーリーは進む。
 「屠殺場」という言葉も使われるが、夫婦が役所に問い合わせたところ、そこに屠殺場があった記録はないと言われ、不穏なムードだけを残す。

 しかし、ここで一度立ち止まって、牡蠣殻→貝殻が埋まっているこの土地は何なのかをシンプルに考えると、ある適切な言葉が浮かび上がってくる。

貝塚
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%B2%9D%E5%A1%9A

参考イメージ:加曾利貝塚

 ここを貝塚と仮定すると、畑の予定地から出土したものの不可解さは一気に雲散霧消する。
 舞台となる有明海周辺の環境は、山の幸、海の幸も取れるため、先史時代の人々からしても住居を構えやすく、貝塚が形成されるにうってつけのポイントだ。

 貝塚からは鳥の骨が出土することもあり、「豚の骨」と言われた中動物の骨は「先史時代の豚」、すなわちイノシシの骨である。
 尤も、この記事の読者の中には「あれ? 豚がイノシシになっちゃった?」と疑問に抱く方もいるかもしれない。
 豚とイノシシの分かれは? 豚っていつからいるの? と感じるだろう。
 では、豚を知ろう。
 これぞ、豚知(トンチ)だ。

ブタ
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%96%E3%82%BF

 現在の日本において「弥生時代の豚の骨」は出土しているものの、「縄文時代の豚の骨」はない。
 とはいえ、貝塚からは弥生・縄文時代の遺物が出土するわけであり、今この段階で「イノシシ」に言い換える必要はなさそうに思えるが、この一見乱暴な言い換えも重要なキーポイントとして後の考察に繋がる。

>ブルーシートがめくられると、Tさんの言うとおり、不快になる程大量の骨と牡蠣殻などがありました。
「Tさん、これだけ骨やらゴミ、というか色々なものがありながら臭いしませんよね?」
Tさん
「ずっと土に埋まっていたからじゃないですかね?」

 ここまで考察を進めると、上記の引用から「貝塚」という解釈がより強固になる。

『日本列島は酸性土壌であり、骨などの有機物が残り難い。しかし、貝塚は大量の貝殻に由来する炭酸カルシウムが豊富なために土壌をアルカリ性に保ち、鳥獣や魚などの骨格(動物遺体)がよく保存されているので、当時の生産や海辺の生活を知る動物考古学の観点から貴重な遺跡となっている。モノとしては新しく見えるが、においがしないのはそれほど古い時代のモノだからでは?』(「煙鳥考察メモ」ママ)

佐賀県有明海周辺にある有名な縄文遺跡がある。

東名遺跡 

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9D%B1%E5%90%8D%E9%81%BA%E8%B7%A1

東名遺跡の貝塚からは、「鳥類の骨」「イノシシの骨」「牡蠣殻」などが出土している。

 Tさん夫婦の畑予定地から出土したものと一緒なのだ。

 ここまで考察すると「某宗派―」は、「有明海周辺の縄文時代を由来とする怪異譚」となり、考察前の「わけもわからず不穏」というものから、様相が一変する。

■2階に浮かぶモノ

 T夫妻は僧侶に自分たちが見た怪しいものについての説明をする。

>「はい・・・やはり見て頂くのが一番良いと思うんですが、上手く言えないんですが、 SF映画みたいにCGですかね、あんな感じで部屋にぼんやりお墓みたいなものが 浮かんでいたんです、もう驚くしかなかったし、そこから音とか声みたいなものが 聞こえてくるんです」

>「音とか声とかじゃないんです、主人の言ってるモノから、人みたいなモノも出て 来るんです、出てくるというか、こんな感じで(両手を突き出して)ぼやーっと 出て浮かんで、たまに下に下りて来たりもするんです」

 僧侶に促されて、Tさんはその「モノ」を紙に描く。

>紙には長方形と正方形が組み合わさった確かに墓石に見えるモノが描かれていました。

 煙鳥メモには「長方形と正方形が合わさった」モノについて『列石、立石、配石なのでは』と記されている。

「配石」とは石を並べて配置したり組み合わせたもので、縄文前期~中期にかけての遺跡に見られる。
 同様に縄文中期〜後期は。その名の通り石を縦に立てた「立石」、縄文後期はドーナッツ状などに石を並べた「環状配石」がある。

参考イメージ::深沢遺跡配石遺構(群馬県みなかみ町)

 
「長方形と正方形が組み合わさった確かに墓石に見えるモノ」という記述のみからは、今一つイメージが湧きにくいのだが、「縄文遺跡」という切り口を持って想像すると、何かしらの画が浮かびやすくなる。 

 ディープになってきました。

■サナギのようなモノ

 僧侶は夫婦と共に奇妙なモノが浮かぶ2階の一室に足を踏み入れる。

>「あ、かわっとる!」とおっしゃいました。
「え?何がかわったんですか?」
Tさん
「前よりもハッキリみえるようになってます、おい」
と奥様を呼ばれました。奥様も
「ほんとうに、前はこんなにハッキリみえてなかったと思います。
もっとぼやっとした感じだったのに・・・」
私も二人の後からその部屋に入りました。
すると、そこには先程描いて頂いた様な墓石の様な物体はなく
蝶や蛾のサナギみたいな物体が、本当に浮かんでいました。
「さっき描いて頂いた形と随分変化してますよね・・・」
Tさんと奥様ほぼ同時に「え?」
「え?」
Tさん
「いや、一緒でしょ?お坊さんお墓みたいなのに見えないですか?」
「え?」
何でこうなるの?
「あの、私には蝶か蛾のサナギみたいなものに模様が入ってるモノにみえます」

 T夫婦は「お墓みたいな」モノが見えているが、僧侶には「蝶か蛾のサナギみたいなものに模様が入っているモノ」が見えている。
 
 縄文土器には様々な形がある。

様々な形の縄文土器▼
https://www.google.com/search?rlz=1C5CHFA_enJP907JP908&sxsrf=ALeKk03OBSI7vH0EDpjh8snFoi_Z9vwJng:1601028035857&source=univ&tbm=isch&q=%E7%B8%84%E6%96%87%E5%9C%9F%E5%99%A8+%E7%94%BB%E5%83%8F&sa=X&ved=2ahUKEwie6-iahoTsAhWZd94KHZ8ZDgcQ7Al6BAgKEGM&biw=1680&bih=939 

 土器の幾つかには、いかにも「サナギ」のような形に模様が入っているものがある。
 土器の用途には、「食器」などの他に「棺」「副葬品」といった「葬儀」に類するものもある。
  
 ここまでの考察をもって、「縄文時代」というキーワードがストーリーの全編に纏わりついてることを読者は自覚せざるを得ない。

■熱く燃える「煙鳥考察メモ」それから

 煙鳥さんのメモ中、「某宗派―」引用からの考察はここで一旦終わっている。
 しかしメモにはここからさらに深く、熱い考察が続いている。
 煙鳥さんの狂気を帯びた情熱を生のまま読者にお伝えすべく、以下は原文ままに筆者注「()丸括弧内」を付加して掲載する。

以下、「煙鳥考察メモ」ままに筆者()内付加

 「ここから一つの推測ができる。
ここからは前回の考察では触れていなかったパートになります。(煙鳥さんは不定期に怪談・オカルト考察を語る配信をしている。「パート」「前回」などはあくまで配信用の言葉)
その前にまず、佐賀県の遺跡の状況を見てみよう。
とうみょう(東名)遺跡は、海から約12キロほど離れている。
海から徒歩で歩くには遠くね?と思った人も多いかもしれないが、これはこの当時(縄文時代、あるいはそれ以前)、佐賀湾は海岸線が今よりもずっと内陸側にあった。
これが、弥生時代になるとどんどんと海岸線が遠くなっていったため、今の感覚からすると、徒歩にしてはずいぶん内陸部にあるように感じる。
また、佐賀県には弥生時代の超有名遺跡、吉野ケ里遺跡もすぐそこである。
縄文時代から、弥生時代にかけての遺跡を見ると、佐賀県有明湾周辺にはたくさんの遺跡が発掘されている。
つまり、それほど暮らしやすい土地だったのだ。
海も近くて山も近い。
だから、縄文早期から弥生時代にかけての長い間、このあたりに当時の人々は住んでいた。

さて、ここから一歩進んだ考察をしてみよう。
先ほど紹介した立石、配石、そして土器の形状を調べると、だいたいの年代がわかる。
恐らく、描写から考えるにお墓のようなもの、は立石であると推測される。
立石は縄文時代中期から後期にかけて制作された。

縄文時代の時期区分から中期から後期とは、約5500年前から約3300年前となる。

そして、蛹(サナギ)のようなもの、土器が先ほど紹介したような装飾が派手になり、厚手のものも同じく縄文時代中期から後期にかけてよく制作された。
土器、立石。
制作の時期を比べると、時代的に奇妙なことに、なんとどちらも縄文時代の中期から後期にかけてと符号する。
合わせてみると、恐らくこの家の下にある遺跡は縄文時代中期から後期、約5500年前から3300年前にかけて制作された遺跡である可能性が高い。

では、ここからさらに一歩進んでみよう。
ここで、佐賀県の縄文中期、後期からの遺跡マップを見てみよう。(「遺跡マップ」という画像があるのだが権利の都合で当記事での掲載は控える。ネットで佐賀県の遺跡事情は容易に分かる)
青いエリアは、この時代の海岸線、海を示す。
このように縄文中期から後期にかけての遺跡は、長崎自動車道沿いから南側にかけてのラインに集中している。
もし、ここまでの仮設が正しければ、この家はこの付近にある可能性がある。

というわけで、以上の考察で、本文章のヒントになった
「カキと豚の骨が固まって出てきた」
「骨が新しいのに匂いがしない」
「お墓のようなもの」
「蝶や蛾の蛹のような形」
という描写から察するに、何かあまりにヒントになる描写が多いことに気づく。
何か、わかる人にはわかるようにわざと書いている気さえする。

また、写真には取れるが、市役所の人がくると骨が消える、というのも、もし見つかれば遺跡として認定されて、発掘されてしまうからでは?
この遺跡は発掘されることを避けている?

また、帰り際に大量のカラスが屋根に止まっていて飛び立った、という描写があったが、カラスといえばヤタガラスのように道案内の象徴、さらに鳥は鳥葬に代表されるように、古来から人の魂をあの世に運ぶものとされている。

しかし、見えた男が何故容姿が違って見えるのか、この男は誰なのか、最後のTさんの言葉などなど謎はまだ残ります。

というわけで、この家は縄文時代中期られた遺跡の上に建っていることに起因する怪異説を唱えてみました。」

以上「煙鳥考察メモ」ままに筆者()内付加

■さあ、みんなで考察してみよう!

 前後編にわたった煙鳥さんの「某宗派—」考察回、いかがだったでしょうか。
 荒唐無稽に思える話も、然るべき考察を与えるとここまでの「オカルトルール」と共に読み解くことができるのである。
 今回お伝えしたのはあくまで煙鳥ヴァージョンの「某宗派—」考察だ。
 読者の皆さんも、ねちっこく様々な怪異譚にあたって、自分なりの考察を重ねてみるのもまた一興なのではないだろうか。
 我々が見聞きしているモノにはまだ裏側があるのかもしれない。

協力:煙鳥さん(@chick_encho)

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