■「沖縄怪談」とは
・そもそもそんな言葉はないが、沖縄の怪談のこと。
■「沖縄怪談」はどこが怖いのか
・風光明美な景色が各メディアで紹介される沖縄。しかし、そこには主に本州からの交通費の問題があるため、沖縄以北から見てまだまだ「未知」と呼べる文化がある。オカルト的観点からは、そこで起きる怪異はまさに「未知の未知」。底知れぬ恐怖とロマンがある。
・「ナンクルナイサー」に代表される明るくの前向きなイメージと裏腹に、実際に人が死ぬ、消える、終わる怪異譚が目立つ。また戦争の歴史が絡む怪異譚があり、深く考えさせられるものもある。
・沖縄語や琉球神道の女性祭司「ノロ」、民間霊媒師「ユタ」の存在から生まれる土着感。
■「沖縄怪談」の反語
・「青森怪談」あるいは「北海道怪談」(今筆者が決めました……)
■沖縄には妖怪がいる!
『「何が乗っかったの?」
「キムジナーだよ」
「え、キジ?」
「違う、キムジナーだよ、マジムン(妖怪)だよ!」』
(小原猛著『琉球奇譚 キリキザワイの怪』収載「釣り人の背中には」より)
沖縄怪談の雄・小原猛さんの『キリキザワイの怪』は数ページ読んだだけで、沖縄怪談とそれ以外の違いがすぐに分かる。聞き慣れない地名があり、登場人物の中には外国人の名前もあり、神様が住む場所もあれば引用箇所のように「マジムン(妖怪)」という言葉が当たり前のように出てくる。
上記の「釣り人の背中には」は体験者の「新城さん」が北谷(ちゃたん)町の海岸沿いで釣りをしている最中に、ある男に出会ったことから始まる。
男の背中に樹木に宿るといわれる妖怪キジムナーそっくりなモノを見た新城さんは、その後思わぬ釣果を得たあとに、ふと背中が重くなる。
恐れ慄き妻に電話を入れたところ「魚の片目をあげればいい」とアドバイスが。新城さんが言われた通りにすると、身体が楽になった。
しかし、釣果の魅力に惹かれた新城さんはキジムナーを家に連れかえろうと画策し、妖怪と人間の不思議な交流が繰り広げられる。
実話であり現代が舞台でありながら、この体験談の読み応えには民話のような手触りがある。
北谷の海岸でよく釣れるのは「グルクン」「ガーラ」で、新城さんが出会った男が吸っているタバコの香りは「うるま」という銘柄に似ている。
これら聴き慣れないいくつかの固有名詞を並べるだけで、同書の前書きにもある通り、まさにこの地には「異文化」があるということが分かる。戦前戦後を行き来し、神様や妖怪が跋扈しつつもその全てが現代に繋がっているように思わせる小原さんの筆致と取材力は流石の一言だ。
同書は怪談云々抜きとしても「読む沖縄」として素晴らしい読書体験を得られる一冊だ。
■ユタとノロ
『「神様のために見ること。この子はカミングヮ(神の子)だからよ。人の命を沢山救うだろう。そういう星の元に生まれた子だよ」
祖父と明子さんたちは、ユタからそんなトンチンカンなことを言われて、家から出された。その時明子さんはユタの言った言葉を一ミリも理解できなかった。』
(小原猛著『琉球奇譚 マブイグミの呪文』収載「アチキとヌルキの女」より)
『普通、集落の木を伐(き)る時には、集落の中のノロかユタがそれを行った。だが何年もまえにノロもユタも死んでしまい、集落には祀り事を執り行う人がいなくなってしまったのだ。』
(『琉球奇譚 キリキザワイの怪』収載「コーン、コーン」より)
小原さんは『キリキザワイの怪』の前書きでノロとユタを「沖縄のシャーマン」と紹介している。
ユタは霊感があり民間療法を行い、カウンセラーのような役割を担っているそうだ。一方、ノロは琉球國を動かす祀りごとを行うために任命された「公務員」だという。
青森にもイタコやカミサマのようなシャーマンがいるが、ノロのような「公務員」的な役割は持っていない。怪談を楽しみつつ文化を学べるのも沖縄怪談の魅了の一つ。
■ウタキ
沖縄怪談にはたびたび「ウタキ」という言葉が出てくる。
漢字で書くと「御嶽」となるこの言葉の意味は、「琉球王国(第二尚氏王朝)が制定した琉球神道における聖域」のこと。琉球神道における神様が訪れる場所であり、神に仕えるのは女性という教義から、男子禁制とされている場所が多い。
『マブイグミの呪文』収載の「カサカサ」に『自治体で管理しているウタキ』という一文があることから、琉球王国の時代から現代に至るまでその聖域は守られていることが分かる。
が、以前お話をさせてもらった沖縄在住の方曰く「もう守られなくなったウタキもある」とのことで、捨てられた聖域の上に建った家に厄災がある……なんてこともあるのだそうだ。おお、怖っ。
■沖縄怪談の真髄
沖縄怪談は総じて「古(いにしえ」を感じるものが多い。
妖怪や神様など古くから息づくモノの存在がある。
民話的でありながら、バイクや車など現代のツールが違和感なく談話に飲み込まれる。
異文化、さらに言うと異国(差別的な意味ではない)とも呼べる沖縄から、どうにも懐かしい感覚を覚える。
筆者は沖縄に訪れたことはない。
しかし、沖縄怪談からは古里の香りがする。
しかし、「古里=ぬくもり」というありきたりな図式のものではない。
『ユタになる、神人になる、つまり霊能者になるということは、一体どんなものなのだろうか。そのことについて、さつきさんはこんな風に答えた。
「呪い。気が狂う。誰にも話したくない。話すべきではない」』
(『琉球奇譚 マブイグミの呪文』収載「ムンヌマキ」より)
沖縄怪談は懐かしく、怖い。
暖かくもあり、冷徹でもある。
しかし、世界の神話を紐解くと「古の神」はいつだってそうなのだ。
是非とも沖縄怪談に触れて、マブイを感じてほしい。
うっかりウタキに入り込んで、マブイを取られないように……。
書いた人
玉川哲也
オカルトをこよなく愛でる新進気鋭のフリーライター。