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【怪語事典】アニメとも関係アリ!?「肝試し」が怖い話の定番になったワケが深すぎた!-2chの怖い話

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 肝試し。それは誰しもが人生の中で一度はやったことがあろう(?)、夜の冒険。「おもしろき こともなき世を おもしろく すみなしものは 心なりけり」といわんばかりに我々は社会から抜け出し、真っ暗なおっかないスポットを彷徨うのだ。
 怪談的に肝試しはネタの宝庫。
 もしかしたら世の人々が肝試しを止めたら、怪談の三分の一くらいは減るかもしれない。「取り憑かれ待ち」と言い換え可能なくらい、肝試しには憑き物が付き物なのです。
 ということで、今回のトピックは「肝試し」!
 スタ~ティ~ン~!

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■「肝試し」とは

・日本の習俗の一つで、遊びとしての度胸試しの一種。
人間が恐怖心を抱くような場所巡ることによって、勇気を確かめながら、そこで起こる事象を楽しむ行事。

■「肝試し」はどこが怖いのか

・そもそも「何か心霊的なことが起きたことがある」で行われることが多いため、「自分にも何か起きるかも」と思ってしまう。

・肝試しスポットは外灯などが少ない、あるいは皆無な暗い場所が多い。そのため、心霊的な怪異以前に本能的な不安を感じる。獰猛な動物やクレージーな暴漢が飛び出してくる可能性もある。また、足下が悪い場合は転倒の恐れ、釘やささくれ立った樹木の枝などが多い場所では裂傷の恐れもある。

・その場に入ることが違法である場合もある。この場合は逮捕の恐れがある。逮捕まで行かなくても誰か(物凄く恐い人)に怒られるかもしれないという恐怖心も。

■「肝試し」の反語

・「お家でネットフリックス」

■肝試しをしてみたら……

『「トライアスロンとか、トレイルランニングとか、もっと肉体的にキツいのあるじゃないですか。だけど、山田くんはそっちに行かないで、次に目をつけたのが」
 ――心霊スポットめぐりなんです。』
(吉澤有貴著『呪胎怪談』収載「刺激ジャンキー」より)

 官能小説作家で無類の怪談好きとして知られる吉澤さんの執筆による「刺激ジャンキー」は、まさに肝試しの恐ろしさ、肝試しの意義を体現したような談話だ。
 危険な行為をして喝采を浴びることに執着する山田くんは、エクストリームスポーツなどを経て、心霊スポットめぐりに行き着く。足を引っ張られるという噂のある浜、空襲の犠牲者の遺体がかつて積まれてあったといわれる公園などで自身の度胸を誇示する山田くんの欲求は次第にエスカレートし、ついには地元で有名な自殺スポットである大橋に仲間たちと赴くことになる。
 大橋に着いた山田くんは冒涜的な言動をした後に、ひょいと欄干を飛び越え、欄干の付け根にぶら下がり仲間の注目を集めようとするが……。
 
 「刺激ジャンキー」の山田くんは「こんなこと俺には容易い」とアピールし、仲間から「すごい」と言われるためだけに不遜な行いを繰り返す。そのためには一歩間違えば怪我どころか死を招くようなことも厭わない。
 そもそも己の肝を試すだけなら、一人で行ってもいいはずだ。だが、「一人で肝試し」というフレーズに違和感があるほど、単独で肝試しをする者はそうそういない。肝試しは基本的に「二人以上のグループ」で行い、その場でのコミュニケーションを楽しむことも趣旨の範疇だ。
 山田くんほどのマナー違反、危険行為をする人も稀だが、いかにも怖そうな場所でずんずん入り込んでいく友人を見て、「あいつ、すげーな」と感じたことは経験者ならあるのではないだろうか。
 肝試しは自分の肝だけではなく、他人の肝も試しているのだ。いわば、他人の肝との勝負なのである。
 
 私は別に「根性試しなんてバカらしいから肝試しを止めよう」と言いたいわけではない。山田くん一行はこの後とんでもない目に遭うわけだが、では肝試しはやっちゃいけないことなのかと問われるとそれは否であろう。
 マナーを守り、危険なことをしないようにしながら肝試しをするのは、その場にいる皆がしたいならすればいいと思う。
 私は怖がりなのでやりませんし、「刺激ジャンキー」を読んだあとに「よし、俺も肝試しをしよう!」とは思えないですよ……。

■「肝試し」と「心霊スポット探訪」

 「刺激ジャンキー」では引用にある通り「心霊スポットめぐり」という言葉が使われている。
 しかし昨今のネットを主体としたオカルトブームではこの「心霊スポットめぐり」が肝試しと同意で使われないこともあり、興味深い。
 特にこの竹書房怪談ニュース記事読者に多いのではないかと想像するが、「心霊スポットめぐり」をある種、民俗学におけるフィールドワークと同様に捉えている層がいるのだ。
 この層にとって「行ってみたら雰囲気があって怖かった」という感想はあくまで付随的なもので、肝を試す気もなく、単純に「噂のあの場所」を目で確認することが第一の目的となっている。
 奇特な方々である。 

ちなみに私は「ガマグチヨタカの会」(https://www.youtube.com/channel/UCfiXOjxQqDEK3O5p-1qqXqQ)という心霊スポット探訪チャンネルが好きです。

■「肝試し」の舞台あれこれ

 さて、肝試しと言えばどんな場所があるかな? と手元にある竹書房怪談本を無作為にめくってみた。

『「博史くん、夜の学校って行ったことある?」
 「ないよ。うちの学校は夜閉まっちゃうんだ」
 「ちょっと行ってみない? うちの小学校は夜でも入れるから」』
(響洋平著『地下怪談 慟哭』収載「木陰」より)

 こちらは小学校。夜の学校はなぜか怖い。私も夜に近所の小学校をじーっと見ては、「窓から誰かこっち見てたらどうしよう」と想像を膨らませてます。

『本田さんは以前、単身で廃ホテルの探検をしたことがある。』
(真白圭著『実話怪事記 穢れ家』収載「廃ホテル」より)

 今度は廃ホテル。本田さんが単身で行った理由は、時期柄友人達が帰省していたからだと文中で示されています。廃ホテルに限らず、廃屋全般、怖いです。廃屋に満タンの霊がいたら大変ですね。

 とか書きつつ、次々と怪談本をめくってみたのですが、だいたい3冊に1冊の割合で、「肝試し」モノの怪談が1~2話収載されていました。思ったより少ないような、多いような。怪談作家の皆さんはベタを嫌うので、あえて書いていない談話もたくさんあることでしょう。

■肝試しと「世界の確認」

 さて、ここからは筆者がこれまで肝試しに関して調べた上での気づきを記しておこうと思う。雑感のようになってしまうかもしれないが、どうかお付き合いいただきたい。

 筆者は以前、文芸評論家・三浦雅士さんの講演会で聴いた「二足歩行に進化した人間は、高さ持ち移動することで、世界を確認することが容易になった」というフレーズにいたく感銘を受けたことがある。三浦さんはこれに続いて、「そして人はより高いところからの世界の確認を求めて、飛行機や宇宙船などを作った」と話し、人間がいかに世界を確認することに執着しているかを来場者に熱弁した。

 まだ見ぬ地、目を凝らしても見えぬ暗闇の中、自分の中に生まれる恐怖、そして己の度胸と勇気のあり方。これらを確認するのが肝試しならば、それは全て「確認する作業」であり、「確認の対象」はインナー/アウター・スペース=世界であるといえるのだ。

 我々人類はおしなべて「刺激ジャンキー」ならぬ「確認ジャンキー」だ。食べたことのない料理を食べたくなり、読んだことのない本を読みたくなる。ただ友達と遊ぶのみの行い一つとっても、そこで何か新しい感覚を得たり、幸福感の更新を求め、結果を確認する作業なのだ。
 
 「ブレア・ウィッチ・プロジェクト」というホラー映画がある。
1999年に公開された同作は、手持ちカメラをメインにした擬似ドキュメンタリーで、低予算でありながら大ヒット。同作をきっかけにこの手持ちカメラの手法を用いた「POV(point of view)」映画は脚本のジャンルを問わずひとつの定番となった。

 同作では伝説の「ブレア・ウィッチの魔女」を調査し映画を作ろうとする若者たちがカメラを片手に森の中を彷徨い、朽ち果てた館に誘われて行く様がリアルに描写される。とにかく手ブレで揺れる画面、映画的な抑揚のない演技は擬似とはいえ、まさにドキュメンタリーの味わい。前述した考えになぞらえるなら、ブレア・ウィッチの魔女を「確認」することの擬似体験を得られる出来栄えとなっている。   
 そして、この「世界の確認」の擬似体験の提供こそがホラー映画愛好家以外をも巻き込んだヒットを生んだのだ。

 三浦雅士さんは講演会で、宮崎駿監督作品にも触れた。
 宮崎映画の特徴である「空を飛ぶ」描写が、まさしく上から下を、あるいはさらに上を確認しようとする人間の性質がよく捉えられているというのだ。
 
 なるほど「風の谷のナウシカ」「魔女の宅急便」「千と千尋の物語」など、それら作品には「飛ぶ」「知ろうとする」「迷い込み学ぶ」などがテーマの主軸となっている。
 三浦さんは「崖の上のポニョ」に関しては「ポニョが逆立ちをして、世界を逆さまに確認しようとしている」というこれまた鋭い指摘をしていたものだ。

 ならば、やはり肝試しというものは人間の性質を象徴する行いなのだ。
 あなたが初めて入店するラーメン屋に一歩足を踏み入れた時。
 新商品のシャンプーを購入した後の帰路。
 企画展を鑑賞するために美術館へ向かう道のり。
 これらは全て、肝試しとベクトルを同じくしている。
 確認を。確認を。
 たとえそれに恐怖が伴っても確認を。
 己の深淵を覗くことになろうとも確認を。
 
 人として生まれたからには我々の肝試しは、いつまでもいつまでも続くのだ。 

書いた人

玉川哲也 (たまかわ・てつや)

オカルトをこよなく愛でる新進気鋭のフリーライター。

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