【日々怪談】2021年7月24日の怖い話~まだいる
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まだいる
富田さんが勤める病棟は、院内で「天国に二番目に近い場所」と呼ばれていた。
中でもある個室は重傷や末期の患者が入室するため、色々と噂が立っていた。
入院患者の中には、気管切開といって喉に穴を開けている方が多く、その場合の意思疎通には筆談が用いられる。
ある晩、その個室に入院している越谷さんという高齢の男性からコールがあった。
富田さんが個室に向かうと、術後で起き上がってはいけない状態にも関わらず、越谷さんは必死の形相でベッドから這いずり出ようとしていた。
慌てて止めると、越谷さんは震える手でペンを取り、筆談用のボードに、
「おんながいる はいってきた みている」
と書き殴った。
だが、術後の麻酔も効いている状態である。高齢者には夜間不穏は良くあることだ。
「大丈夫ですよ」
そう声を掛けて電気を点け、寝入るまで側にいると告げると、越谷さんは落ち着きを取り戻して寝息を立て始めた。
病棟に長く勤めていると、その個室に入った患者さんの多くが、夜間に不穏状態になると、「ちいさいおんながいる」とか「小さい女が入ってくる」と訴えることに気付いた。
声の出せない患者が、必死にボードに書き付ける姿には鬼気迫るものがあった。
それだけではない。付き添いの家族から、「小柄な女性が覗くので何とかしてほしい」と訴えがあることも一度や二度ではなかった。
そんなある日、地方巡業中の力士がその病院に入院することになった。
重症ではなかったが、部屋と身体に合うベッドがなく、件の個室に入室した。
その夜、日付が変わる頃にその部屋からコールがあった。富田さんと先輩が向かうと、小山のような身体の力士が、ベッドの上に身体を縮めるようにして座っていた。彼は、
「部屋を替えてほしい」
と必死の形相で訴えた。
話を聞いてみると、消灯後、横になっていると物音がした。そちらを見ると、入り口ではなくミニキッチンの壁から背の低い女性が浮き出てきた。驚いて女の様子を見ていると、対面の窓のほうに向かって移動を始めた。その間中、女はこちらを睨み付けていた。
その顔は醜く歪んでいて、正視に耐えられるものではなかった。
初回は夢かと思ったがまた同じことが起きた。二回繰り返すと、さすがに夢ではない。
力士は、部屋を代えてくれと再び訴えた。
だが、院内に代わりの部屋がある訳ではない。その夜は何とか説得し、睡眠剤で眠ってもらうことになった。
処置を終え、富田さんと先輩がナースルームに戻るときに、先輩が、
「今の話で、あの部屋には長く患って亡くなった女性がいたのを思い出したわ」
と話し始めた。
「その方ね、身長が一三〇センチぐらいで、上顎癌で癌摘出と形成手術を繰り返していたのよ。二〇代後半でまだ若いのに、恋愛も結婚も仕事も諦めなければいけなくてね」
気の毒だったわ、と先輩は言った。
それから十数年経ち、富田さんが勤めていた頃の同僚や先輩も今はその病棟にはいない。
だが、富田さんの後輩がそこに配属になった直後に、
「先輩、あの部屋って出るんですか? 小さい女が入ってくるって患者さんが――」
後輩が小声で話す姿に、ああ、まだいるのかと思ったという。
――「まだいる」神沼三平太『恐怖箱 百聞』より