【日々怪談】2021年3月12日の怖い話~ 一人カラオケ
【今日は何の日?】3月12日:サイフの日
一人カラオケ
上島さんは大学時代にカラオケ屋でアルバイトをしていた。土日はさておき平日の昼間は客の入りが少なく、暇で楽な職場であった。
初夏の平日の午後、大きなコートを着た女性が入店した。その日初めての客だった。
見たところ六十代だろうか。小柄で痩せている。サイズが合わない真っ黒なコートを羽織り、腰のところを紐で縛って丈を調整していた。袖も捲り上げている。時節に合わぬ不思議な風体だった。
他に連れはいない。単身である。一人カラオケだ。
へぇ、こんな人も一人カラオケするんだ
部屋に案内すると、女性はコートも脱がずにすぐに番号を入力し始めた。その横でワンドリンク制だということを告げ、ウーロン茶の注文を受けた。
厨房に戻って準備する。その間に女性の歌声が届いてきた。防音されているとはいえ、廊下に声が漏れ出ているのだ。客は一人しかいないので、歌声がはっきりと聞こえた。
歌っているのは昭和の頃に流行ったデュエットの歌謡曲だった。
その曲を歌う女性の声は絶品だった。プロかと思うほどだ。ただ少し不自然に思った。
サビに入った頃に不自然な理由が分かった。デュエットの男性パートでは、部屋から聞こえてくるのは男性の声なのだ。こちらも聞き惚れてしまうほどの声だった。
――あのおばさん凄いな。
コップとおしぼりをお盆に準備しながら聞いていたが、単に歌がうまい、音域が広いでは説明が付かないことに気付いた。曲の最中に二人の声が混ざるのだ。
ウーロン茶を部屋に届けると、彼女はコートも着込んだまま一人で熱唱中であった。
上島さんは首を傾げて厨房に戻った。
女性は一時間たっぷりとデュエット曲ばかりを歌い、満足そうに部屋から出てきた。
支払いのときに、上島さんは彼女の片手が不自由なのだと気付いた。女性がバッグから片手で財布を取り出し、カウンターに置いた財布から片手で紙幣を出そうとしたからだ。
もう片方の手はぶら下げたままである。
女性が財布を掴み直そうとしたときに、カウンターから財布が滑り落ちそうになった。
受け止めようとしたのか、ふっと彼女が不自由なほうの腕を持ち上げた。
そのとき折り返したコートの袖から、大きな男性の掌が、女性の手を包み込むようにして握っているのが見えた。
――「一人カラオケ」神沼三平太『恐怖箱 百舌』より