【日々怪談】2021年3月26日の怖い話~ 刻み千片

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【今日は何の日?】3月26日:誕生花ハナニラの花言葉悲しい別れ・愛しい人・恨み・卑劣

刻み千片

 酒井さんは半袖の開襟シャツで待ち合わせの喫茶店に現れると、疲れきったような、やりきれないような表情で体験した出来事を語り始めた。

 数日前の深夜、酒井さんが自室のワンルームマンションに戻ると、人の気配がした。
 誰かいるのかと、ドア越しに声を掛けたが、返事はない。しかし、微かな音が部屋から聞こえる。何者かが中にいるのだ。
 椅子がキィと軋む音がした。その音に弾かれて、酒井さんはドアを開けた。
 大声を上げながら、ドア脇にある部屋のスイッチを点けた。
 蛍光灯が瞬き、部屋が明るくなった。書斎として使っている部屋の一角に女がいた。
 女は椅子に腰掛け、机に向かっている。酒井さんの声を無視して俯いたまま、鋏で一心に何かを切り刻んでいた。鋏の立てるチャキチャキという音が部屋に響いた。
「お前誰だ!」
 ドアの横に立ち尽くしたまま、酒井さんは怒声を浴びせた。女は顔を上げた。
 その風貌には見覚えがあった。田舎から出てくる前に付き合っていた元彼女だった。
 元彼女は立ち尽くす酒井さんをじっと見つめた。口の端だけを吊り上げて怖い笑顔を見せた。そして音も立てずに姿を消した。
 酒井さんの机の上には、鋏と一片の細長いカード状のものが残されていた。
 椅子の下には、細かく切り刻まれ、紙吹雪のようになった切りくずが散らばっていた。
 机に駆け寄り、薄青いそのカードをひっくり返すと、それはスピード写真だった。
 元彼女は、酒井さんをバストアップで写したスピード写真を切り刻んでいた。
 だが、その写真は酒井さんには覚えのない写真だった。

「これがその写真なんですけどね」
 手帳に挟まれていたスピード写真が差し出された。同じ白黒写真が三枚綴られている。
 ただ、一番下の写真は顔の半分までで斜めに切り取られている。
「彼女とは――」
「もうどうなってるか知らないですよ」
 酒井さんは、就職が決まって東京に出てくるときに、彼女との関係を全て清算したという。
 ただ、後で友人から聞かされたことには、彼女は妊娠していたらしい。
「当時は俺そんなの知りませんでしたしね。まぁ、この話はここまでってことで」
 酒井さんとはそうして別れた。

 それから一年余りが経った。再取材を申し込むために酒井さんに電話を掛けると、電話口には女性が出て、間違い電話だと返された。
 仕方なく、酒井さんと共通の知り合いの檜山さんに連絡した。

「私達も連絡付かないんですよ」
 檜山さんは酒井さんの同僚である。会社のほうでも連絡が付かなくて困っているという。
「一年ほど前っていうと、酒井がいなくなっちゃう直前ですね。何かご存知ですか?」
 事情を説明すると、
「そのときあいつ、両腕に包帯巻いてませんでした?」
「いや、夏の暑い日で半袖だったし、そんなことなかったと思うけど」
「あぁ、そんじゃ僕達よりも先に酒井と会ったんですね――」

 最後に出社したとき、酒井さんは両腕に包帯を巻いて現れた。
 檜山さんがその包帯の理由を訊ねると、酒井さんは薄笑いを浮かべ、
「見る?」
 と訊いた。嫌がる檜山さんに、「ほら」とその包帯を解いて見せた。
 酒井さんの腕には、数えられないほどの傷が、躊躇い傷のように縦横に入っていた。
 まるで包丁か何かで刻んだようだった。
「もう驚いてね。どうしたんだって訊いたら、昔のコレ関係だって言ってね」
 小指を立てたという。

 それ以来、檜山さんは酒井さんの姿を見ていないと言った。
「会社に怪我のために休養ってことで書類を出して、少し長い休みを取ったんですわ」
 傷を見て会社のほうも休養を認めた。だが期日が過ぎても、酒井さんは社に戻らなかった。
 人事が連絡を取ろうとしたが、既に携帯は解約されており、実家に電話しても連絡が取れない状態だった。
「そんなこんなで、結局解雇されちゃったんですよね」
 会社の皆も心配してるし、どうあれ、幸せにやってると良いんですけどね――。
 檜山さんは遠い目をした。

――「 刻み千片 」神沼三平太『恐怖箱 百舌』より

#ヒビカイ 

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