【日々怪談】2021年4月13日の怖い話~ ルーズソックス
【今日は何の日?】4月13日: 水産デー
ルーズソックス
釣りが趣味の海堂さんの話。
春先のある夜、遠出をして普段行かない港の埠頭で釣り糸を垂らしていた。今夜の狙いはメバル。春告魚とも呼ばれる。今が旬だ。
深夜を過ぎ気温も下がってきた。水筒に入れてきた甘い紅茶を啜りながらの夜釣りである。釣果としては、既に三匹を釣り上げている。メバルは群れて泳ぐので、一度掛かり始めると立て続けに掛かるのだ。
そのとき背後から、びちゃという音が聞こえた。濡れた布で地面を叩くような音だった。
海堂さんが振り返ると、少し離れた場所に恰幅の良い人のシルエットが見えた。
釣り人だろうか。それにしても何も道具を提げていない。頼りない街灯の明かりでは人物のシルエットしか分からない。それでもやけに太った人だという点が気になった。
特に足。膝から下がだぼだぼっとしている。極端に太いルーズソックスのようにも見えた。それとも、防水防寒のゆったりしたパンツでも履いているのだろうか。いや、それならもっとストレートなシルエットになるはずだ。膝から下ばかりがやけに目立つ。
その人影がこっちに向かってくる。びちゃ、べちゃ、びちゃ。ゆっくりとした足音。
こんな時間にこんな場所をうろついているのは、自分のような釣り人か漁師。又は港湾管理局の人か、稀に警官。だが、どれともイメージが重ならない。
その人物は、海堂さんまで十メートルもない位置まで近寄ってきた。ぷんと磯の匂いが強くなった。そして吐き気のするような腐臭も。
海堂さんは折り畳み椅子から立ち上がり、脇に置かれたランタンを持ち上げた。
立っているのは水分をたっぷりと身体に含んだ、ぶよぶよの土左衛門だった。一部は内側から押し上げられるようにパンパンに膨らんでいる。歪だ。肉が水を吸いすぎてだるだるになり、重力に引かれて足下に溜まっている。膝下に折り重なって引きずられている。
びちゃ。また一歩。べちゃ。また一歩。その姿に海堂さんは大声を上げてその場を逃げ出した。せっかくのメバルが入ったバケツも全てその場に残したままである。
翌朝、太陽が高くなった頃に、現場に戻った。折り畳みの椅子とバッグはその場に残っていた。ただ、竿は海に引き込まれてしまったのか、もう見つからず、バケツの中には腐臭のする得体の知れない黒い水が溜まっていた。
それ以来海堂さんは、埠頭の突端や桟橋のような、追い詰められると逃げられない場所での釣りは避けるようになったという。
――「 ルーズソックス」神沼三平太『恐怖箱 百眼』より