【日々怪談】2021年6月8日の怖い話~堤防

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【今日は何の日?】6月8日:世界海洋デー

堤防

 木村さんは子供の頃、祖父とよく釣りに行ったものだった。
 家が小さな港の近くなので、少し歩けば絶好の釣りポイントがあるのだ。
 冬の早朝、港の堤防まで二人で歩いた。祖父は元々朝が早いこともあって元気なものだが、木村さんは眠い目を擦りつつである。
 だが堤防に着く頃には目も覚める。

 その朝は風は冷たかったが、白波は立っていなかった。堤防の内側は静かなものである。
 釣果が期待できそうだった。
 竿を伸ばし、仕掛けを準備する。その間に足下には蟹網も投げ込んでおく。堤防の下に潜んでいる蟹は、型は小さくとも味噌汁にすると良い出汁が出る。
 竿を振って当たりを待つ。隣では祖父も既に準備を終えて、折り畳み椅子に腰掛けている。水筒から熱いコーヒーをカップに注ぐ。強い風に湯気が掠われていく。
「今日は人少ないね」
 港を見回しても、自分達以外に二人程が釣り糸を垂れているだけだ。
「そういう日もあるな。大丈夫か、寒くないか?」
 大丈夫と答え、リールを巻く。
 ヒットしたかと思ったが、残念ながら餌を取られていた。
 餌を付けて再び竿を振った。
 そのとき向かいの堤防を、自転車が海に向けて走っていくのが見えた。街灯の光ではシルエットしか見えないが、新聞配達に使うような無骨な自転車だ。
「随分とスピード出してんな」
 祖父が言った。
 自転車は猛スピードで堤防の端に向かって走っていく。大人が思い切りペダルを漕いでいる速度だ。このままだと堤防を走りきってしまう。
 まるで一人きりのチキンレースだ。
 自転車は堤防の端まで行くと、そのまま海に向かって放物線を描いた。
「落ちた!」
 木村さんの位置から向かいの堤防へ行くには、一度陸に戻る必要がある。
「急いで行かないと」
 祖父に言うと、
「関わらないほうがいい。帰るぞ」
 と、蟹網を引き上げ始めた。祖父の素っ気ない様子に、木村さんは腹を立てた。
「ちょっと見てくる!」
 孫を止める祖父の怒声を振り切り、木村さんは海へ突きだした堤防の先端へ走った。
 そこで見たものは、うねる波の上を沖に向けて走っていく自転車の姿だった。

――「 堤防」神沼三平太『恐怖箱 百聞』より

#ヒビカイ #世界海洋デー

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