「片町酔いどれ怪談 」営業のK 第14回 ~深夜のデパートには~
大学生の頃、大学が休みになると金沢に戻って来て、イベント設営のアルバイトをしていた。
ライブ会場やお祭り、展示会などの設営をするバイトだった。
その中でも特に収入が良かった現場が、片町に在ったデパートの催事フロアだ。
よく地方の物産展などが行われているが、要はそういうイベントに合わせて会場を間仕切り、壁紙を張り替えて陳列棚をセットするまでの作業が、設営のバイトである。
かなり重労働だが、それなりの収入が期待できた。
なにしろ、通常の現場は昼間に作業が行われるが、デパートのイベント設営は営業時間外、つまり終業後から翌朝までの間に作業時間が限定されていた。
お店が終わる午後8時と同時に作業に入り、そのまま翌日の開店時間までにイベント会場の設営を完成させる。
14時間という限られた時間内に全ての作業を終えなければならない上、夜を徹しての深夜業務ということで、時給は自然高くなる。それが×14になるわけだから、学生にしてみればけっこうな高収入となった。
しかも、ありがたいことに夜食や翌朝の朝食もしっかりと支給される。若い俺達にはこれ以上望むものは無いと言っていいくらいの人気バイトであった。
設営作業の現場は、大工さん、表具屋さん、そして俺達のようなバイトに現場監督さんまでが入りまじる、とても賑やかな雰囲気だった。
しかし、ひとたび設営作業を行っている階以外に行くと、空気がガラッと変わる。
夜のデパートというのは何処でもそんな感じなのだろうが、真っ暗闇の中に避難経路の誘導灯だけがぼんやりと光っている。
静かで……不気味で……何やら異世界のように感じられたものだ。
そんな雰囲気のせいか、バイト連中の仲間内ではある決まり事があった。
それは、他の階へ行く場合はあくまで自己責任であり、そこで見たもの聞こえたものに対しては全て、見えないフリ聞こえないフリをしなければいけないという事だった。
最初は、そんな暗黙のルールなど何の役に立つのかと、正直ばかにしていたのだが、それは大きな間違いだとすぐに気付いた。
別の階に行くのは、トイレに行く場合か、もしくは自動販売機で飲み物を買う場合か2つしかなかったが、それでもやはり、色々と起こるのである。
最初、そのバイトに参加した時は、夜のデパートというシチュエーションだけでかなり舞い上がっていた。
誰も居ないデパートの中など、従業員でもなければなかなか体験できるものではない。お化け屋敷かテーマパークのようなワクワク感があったのだ。
だから、初めてのバイトで休憩時間になった時は思わず心が踊った。
さあ、夜のデパートの探検だ!という気分だったのだが、常連のバイトメンバーはせっかくの休憩時間だというのにどこにも行かず、ただその場で座っているだけなのである。
(あれだけ汗をかいて、喉が渇かないのかな?)
不思議に思いながら、俺は下の階へと降りる非常階段をひとりで下り、自動販売機の置かれている階に着いた。
フロアは当然のことながら真っ暗であり、何箇所かある避難経路用の明かりのみがぼんやりと灯っていた。
俺はもう、探検でもしている気分になり、その暗いフロアをずんずんとひとりで歩いていく。
すると、声が聞こえるのだ。
聞き取れないような小さな声ではなく、ザワザワと何人もが話しているようなざわめきが、さざ波のように耳をくすぐってくる。
最初は従業員の女性が残っているのかと思い、
「ご苦労様で~す!」
と挨拶してしまったくらいである。
しかし、途端に声は聞こえなくなった。
かわりに痛いほどの静寂が垂れ込め、ちくちくと肌を刺す。
突然の静寂に耐え切れず、俺は早足でまた歩き出した。
と、またザワザワ……ザワザワ……と声が聞こえてくる。
そうなるともう、恐怖が喉元までせり上がってきてしまった。
脈が速い。息があがる。
ジュースの自販機の前にたどり着き、必死に飲み物を選んでいると、今度は遠くから足音が聞こえてくる。
それはコツコツとした音ではなく、ペチャッ……ペチャッ……と、まるで濡れた裸足で
フロアを歩いているような音だった。
俺は、とりあえず飲み物を選ぶと、さっさとその場から立ち去ろうとした。
だが、身をかがめて飲み物を取り出すうちにも、先程の足音がどんどんこちらに近づいて来ているのが分かった。
そこで俺は、バイト間で囁かれるもう1つのルールを思い出した。
それは、何か危険を感じたら、その場から動かずに、目を閉じてやり過ごすという事……。
俺はとっさに明るい自販機の方を向いたまま目を閉じると、息を殺してその場に立ち尽くした。
すると、その足音は勢いを増したようにどんどんとこちらに近づいて来るのが分かった。
ペチャペチャペチャペチャ…………ッ。
しかし、そんな極限の状態でも、こうすれば大丈夫という方法を知っている、とかなり気持ちに余裕が生まれるものだ。
俺は、買ったばかり缶ジュースを握り締めたまま、その場でじっと耐え続けた。
掌の冷たさだけが意識を保たせてくれる。
すると、その足音はすぐ背後までやってきて、ピタリと止まった。
自分のすぐ後ろに得体の知れないモノが居る――。
それは言葉に表せないほどの恐怖だった。
背後からは、何やらブツブツと喋っているような声が聞こえる。
しかもそれは日本語なのか何なのか、訳の分からぬ呪文のように聞こえ、全く意味が分からなかった。
そうしていると、背後から、またペタッペタッという音が聞こえ、足音が遠ざかっていく
のが分かった。
俺はホッと胸を撫で下ろすと、大きく息を吸いこんだ。
(今のうちに逃げよう――)
意を決して振り返った刹那、今度こそ息が止まるかと思った。
そこには、俺よりも遥かに背の高い女が、上から見下ろすように俺の顔を覗き込んでいた。
決してバケモノじみた顔をしているとかではない。
むしろ美人と言っていい顔立ちなのだが、暗闇の中で見るその顔は、その無表情さと相俟って、とてつもない恐怖に感じられた。
腰が抜けた俺は、がくんとその場にへたり込むと、大声で助けを呼んでいた。
それほど長い時間、叫び声を発していた記憶も無いのだが、俺は突然体を揺り動かされて目を開けた。
そこには、心配して見に来てくれたバイトの先輩達の顔があった。
途端に、気恥ずかしさが湧いてくる。
「す、すみません」
俺は何事も無かったかのように仕事に戻ろうとそそくさと立ち上がった。
――と、先輩の1人が言った。
今日は、無理しない方が良いぞ。
きっと、大女を見たんだろ? お前も……。
そういう時は皆、バイト中に怪我しちまうんだ。
だから今日は適当に朝まで流して、次からまた頑張ってくれよ!
そう言われた。
ちなみに、俺が力の限り叫んでいた声は一切聞こえなかったという。
その後も、そのデパート夜間バイトは続けたが、大女の姿を見たのは、その時が最初で最後だった。
今、そのデパートは結婚式場とブランド品店が集まった複合施設に変わってしまっている。
それでもやはり……夜になればあの大女はやはりあの場所に現れるのだろうか?
ふと思い出しては、そんなことを思う。
著者プロフィール
営業のK
出身:石川県金沢市
職業:会社員(営業職)
趣味:バンド活動とバイクでの一人旅
経歴:高校までを金沢市で過ごし、大学4年間は関西にて過ごす。
幼少期から数多の怪奇現象に遭遇し、そこから現在に至るまでに体験した恐怖事件、及び、周囲で発生した怪奇現象をメモにとり、それを文に綴ることをライフワークとしている。
勤務先のブログに実話怪談を執筆したことがYahoo!ニュースで話題となり、2017年「闇塗怪談」(竹書房)でデビュー。
好きな言葉:「他力本願」「果報は寝て待て」
ブログ:およそ石川県の怖くない話! 段落
★「片町酔いどれ怪談」は隔週金曜日更新です。
次回の更新は10/2(金)を予定しております。どうぞお楽しみに!
絶賛発売中!
生きた人間を窒息死させて作ったデスマスクの呪い。
所蔵した男の行く末は…(「コレクター」より)
2019年竹書房怪談文庫売上1位(「闇塗怪談 解ケナイ恐怖」)。
圧倒的人気を誇る「闇塗怪談」シリーズ、怪談セールスマンこと【営業のK】の本当にあった怖い話‼