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「片町酔いどれ怪談 」営業のK  第15回 ~雑居ビルのトイレ~

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これは、実際に俺が体験した話になる。
片町では中心的な、大きな雑居ビルでのことだ。
その時俺は何軒か飲み歩いており、急に腹の調子が悪くなった。
かなり切迫した状態だったと思う。
時刻はすでに午前0時を回った頃。
とりあえず目についたトイレに駆け込もうとは思ったが、あまり汚い場所も勘弁願いたい。そんなわけで、とりあえず公園のトイレは除外し、当たりをつけたのがその雑居ビルだった。

ビルに入るとまだ飲んでいる客が多いようで、トイレの前には列が出来ていた。
このビルにはこれまで入ったことがなかったが、おそらくトイレはフロア共同で、各店舗には設置されてないタイプなのだろう。
(とても待てない……)
そう思った俺は、他の階なら空いているかもしれないと、脇の階段から上を目指すことにした。
先程からぐるぐる言っている腹に刺激を与えないよう、ゆっくりゆっくり階段を上っていく。
2階もひとり外に並んでいた。
諦めてさらに上へいくと、3階のトイレは見たところ誰もいない。
男女兼用だったが構いはしない。俺はほっとして少し急ぎ足になると、一番奥の個室に陣取った。

トイレは和式だったが、綺麗に掃除されており、特に問題は見当たらなかった。
ようやく見つけた、落ち着ける場所。
なのに……俺ときたらどうにも余計な事ばかり考えてしまう。

なぜ1階のトイレは列を作るほどいっぱいだったのに、ここには誰もいないんだ?
単に、面倒くさいから上がってこないだけなのか?
いや、3階にだってたくさん店が入っている。
だとしたら、その客たちが使うだろう。
3階の客はトイレが近い人間が少ないのか。我慢強い奴が多いとか?

そんなどうでもいい事ばかりがぐるぐると頭をめぐる。
勿論――「ひょっとして、このトイレを使いたくない理由が……」
という疑問もよぎったが、怖くなるので無理やりそれは考えないようにした。

そうして頭の中はちっとも落ち着かないまま用を足し終え、さあ出ようかという時――。
ふいに人の気配とともに、誰かがトイレに入ってくる足音が聞こえた。
このトイレは、縦長で、手前から奥に向かって個室が5つ。その向かいに小便器が並んでいるという掟破りの男女兼用形式で構成されていた。
入ってきた誰かは、たぶん手前のほうの個室に入った。
いや、入ったというのは正確ではない。
ドアを開ける音はしたのだが、鍵をかける音がしない。代わりに何事かぶつぶつと呟いている。
内容までは聞き取れないが、声からして女性だろう。
だが、次の瞬間、想定外の声が聞こえてきた。
泣き声。
しかも、かなりの大声で泣いている……。
そして、次の瞬間、ガーン!と何かを蹴るような大きな音が聞こえ、俺はビクッと肩をはねさせた。
(お店の女の子が客と揉め、泣いているのだろうか?)
俺としては用も足したことだし、さっさと此処から出て行きたかったのだが、個室から出て、鉢合わせになるのも何となく気まずい。
向こうも泣いているところなど見られたくないだろう。
(仕方ない……向こうが立ち去った後に出るか)
そう決めて気配をうかがっていると、キィっとドアが鳴り、個室から出るような音が聞こえてきた。
(よし、出られる)
ホッとしたのも束の間、いま個室を出たはずの女が、また個室へ入ったような音が聞こえてきた。
しかも――。
その音は明らかに先程よりも近いところで感じた。

え……?

その女が何をしているのか、全く理解できなかった。
どうして個室から一度出たのに、また別の個室に入る必要があるのか?
そうこうするうちに、また同じ音が繰り返される。
間違いない。
女は、また個室を移動し、いま――俺が入っている個室の隣に入ってきた。
相変わらずぶつぶつと呟いているが、今度は何を言っているのかはっきりと聞こえてしまう。

こんなところに隠れても無駄だから。
絶対に逃がさないから……。

そんな言葉を呟いていた。
更には、

ちゃんと痛くないようにするから……。
一緒に行くんだから……。

などという訳の分からない言葉も。

もうその時点で嫌な予感しかしなかった。
はたしてこれはふつうの……生きている人間なのか。それとも別の何かなのか。
分からないが、危険な相手には違いない。

どうする? 相手が鍵をかけた気配はない。
このままここにいるか、それとも一気に飛び出して逃げるか?
そんなことをグズグズ考えていると、その女は隣の個室を出て、とうとう俺が入っている個室の前に来た。
足音がドア一枚隔てたところでぴたりと止まる。

トイレのドアががつがつと押される。
だが、開くはずはない。
中には俺がいるのだから……。

すると、

「ここに居るんだね!」

唐突に明るい声が聞こえてきた。
明るいと書いたが、とにかく気持ちの悪い、狂気じみた笑いの混じった声だった。
と、俺が入っている個室のドアがドーンと大きな音を立てて揺れた。
体当たりされたのか?

「ひぃっ」

あまりのことに、思わず声が漏れてしまった。

「やっぱりここに居るんだねえ! 早く出てきて……
出てこないなら、私から……」

先程と同じ明るい声でそう聞こえた。
俺は、個室のドアの下から覗いている女の靴と足首から目が離せなくなっていた。
全身、恐怖で固まっていた。
女の靴はピクリとも動かず其処に在った。
嫌な沈黙が辺りを飲み込む。
そして、急に何かの気配を感じた俺はハッとして上を見上げた。
女が。
身を乗り出すように、上から入ってこようとしていた。
まるで蛇のように……。
信じられないことに、女の靴と足首はまだドアの下からしっかりと見えていた。
俺は、女がドアの前に立っているかもしれない、という恐怖を感じながらも次の行動はもう決まっていた。
それこそ、ドアの前に何がいたとしても、弾き飛ばすくらいの勢いで個室のドアを押し開けた。
そのまま何も視界に入れまいと一気にトイレの外まで走り抜けた。
それこそ死に物狂いで……。
すると、ちょうどそこに客とホステスが歩いてきて、不思議そうな顔で俺を見た。
不審に思われているのだろうが、他者の存在を感じて、腹の底から安堵がしみ出してくる。
少し落ち着いて耳を澄ませば、もう先程の声や音は、既にトイレから聞こえなくなっていた。

これは後日談になる。
偶然、他のビルの店で飲んでいた時、件のビルのトイレの話が耳に入ってきた。
以前、そのビルに入っていた店のホステスが、不倫関係のもつれから、3階のトイレで自殺した事件があったのだという。
それから3階のトイレに1人で行くと、その自殺したホステスがやってきて、連れて行かれるという噂が立った。いや、噂というよりも、実際にそのトイレで行方不明になったり気が狂ってしまった人も出たらしい。
だから、知っている人は絶対に3階のトイレは使わないのだと。

なぜ他の階が混んでいても、あそこだけ空いていたのか。
やっと腑に落ちた俺であった。

著者プロフィール

営業のK

出身:石川県金沢市
職業:会社員(営業職)
趣味:バンド活動とバイクでの一人旅
経歴:高校までを金沢市で過ごし、大学4年間は関西にて過ごす。
幼少期から数多の怪奇現象に遭遇し、そこから現在に至るまでに体験した恐怖事件、及び、周囲で発生した怪奇現象をメモにとり、それを文に綴ることをライフワークとしている。
勤務先のブログに実話怪談を執筆したことがYahoo!ニュースで話題となり、2017年「闇塗怪談」(竹書房)でデビュー。
好きな言葉:「他力本願」「果報は寝て待て」
ブログ:およそ石川県の怖くない話! 段落

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次回の更新は10/16(金)を予定しております。どうぞお楽しみに!

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