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4月新刊『実話奇譚 蠱惑』(川奈まり子)内容紹介・著者コメント・試し読み・朗読動画

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川奈まり子が克明に綴った実話集!

怪異に寄り添う緻密な取材に基づいた川奈まり子の恐怖譚は、圧倒的な筆力で読者を魅了する!

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あらすじ

「夜の足」

千葉県にある某大学にて夜中に遭遇した怪奇現象。歴史を紐解けばその恐ろしい由縁に辿り着く!

「エンコウのこと」

山口県岩国市。此処の川にかつて見たこともない生物が居たという。果たしてUMAか妖怪か…その目撃談!

「喪った過去より」

気がつけば見知らぬ土地で記憶を失ったまま立っていた――。そんな男性の不可思議な半生と怪異体験談

「赤い女」

千葉県に引っ越したある一家。その家系の男だけが視るおぞましい異形の悪夢。その正体とは…

「精華小劇場」

大阪ミナミのど真ん中。某家電量販店になったその場所でかつて頻発していた怪奇現象の記録

「飛びだしてきた女」

夜道で急に女が飛び出してきて消える…。そんな怪談の典型が実際に起きた!県警をも巻き込んだリアル実話!

「本当にあった呪いの……」

某ホラー映像作品を流してから、家で恐ろしい怪事が次々に!そして恐怖は伝染し取り返しのつかぬ事態に!

「太田の迷い道」

室町時代の上州にタイムスリップ!? 心霊スポット探索中に迷い込んだのは、見たこともない場所だった!

著者コメント

インタビューで得た個人の体験談が、土地の歴史を紐解くことにより、太古の昔へとマジカルに繋がっていく。その手応えこそがルポ怪談作家の醍醐味で、この話についても、取り憑かれたように調査に没頭しました。

ぜひ読者諸氏も、この謎めいた女の足に導かれて怪異の闇を追体験していただければ、と願うばかりです。

著者自薦・試し読み1話

夜の足

 美由さんが高校一年生のとき所属していた女子バレー部は、千葉県で一、二を争う強豪校で、卒業生には全国にその名を轟かせた花形選手が何人もいた。

 そのため、将来的にもバレーボールの世界で活躍することを志すジュニア・バレーのエリートが入学生に多かった。

 部員の技量は押しなべて高く、その練習量も並ではなく、美由さんも当初は選手になって試合で活躍したいと思って入部したのだが、残念ながら早々に落ちこぼれた。中学校のバレー部で普通の部活動に励んだ程度の経験しかなかったのだ。

 しかし、バレーボール自体は、依然として大好きであった。

 そこで、退部することなく、一学期の終わり頃からマネージャーに路線を変更して、他の先輩マネージャーらと共に選手部員の補佐にあたることになった。

 マネージャーの仕事に、彼女はたちまち順応した。

 生来、切り替えが早い性質である。

 人の世話を焼くのが好きでもあり、選手部員にあれこれと指図されるのは苦にならなかった。大家族の末っ子で、家が田舎の農家だったことから、母、祖母、叔母、近隣の年輩女性たちに、よってたかって育てられたせいかもしれない。遠征や合宿などの際に、部員の保護者と協力しあって食事の支度や雑用をするのも、むしろ楽しかった。

 ハイレベルな運動部の常として、このバレー部も強化練習や遠征試合に熱心だった。

 日頃の練習時のみならず、合宿の折にも、マネージャーは選手のサポートに当たる。

 数名の保護者や顧問の教師、コーチなどが同行する合宿は、ときには数日間にわたることもあり、マネージャーの活動の内では特に重要度が高かった。

 やがて、毎年恒例の夏季大型合宿の日取りが迫ってきた。

 三年生部員の総括となる県大会を中心とする、年間で最も大切な催しだから、日が近づくにつれ、選手たちの緊張と興奮はいや増した。

 選手ではないにもかかわらず、美由さんの胸も自ずと熱くなり、大いに張り切った。

 この合宿の期間は一週間。県内他校のバレー部と共同で、毎年、夏休み中に開催されてきたという。今年は千葉県内のとある大学キャンパスを借りて行うことが決まっており、参加者の人数は合計一〇〇人にものぼるということだ。

 合宿初日、美由さんは、キャンパスが予想以上に広大で建物が何棟もあることに戸惑った。

 泊まることになった校舎も、たいへん部屋数が多い。

 ――迷子になりそうな予感がした。

 実は彼女は自他ともに認める方向音痴で、幼い頃から数知れず道に迷ってきたのである。

 そこで、この合宿中は単独行動を取らないように心掛け、休憩時間中も先輩マネージャーや保護者の方たちに出来るだけくっついていることにした。

 宿泊場所に定められた部屋は、広いホールのようなところだったが、美由さんはそこでも選手のお母さん方から離れずに、彼らの間に自分の寝床を延べた。

 そこから室内を振り返ると、業者からレンタルした人数分の蒲団の海原が遠くの窓際まで広がっていた。

 選手部員の休息を妨げないために配慮して、出入り口の近くに寝床をとっていたのだ。

 休憩中の選手部員や隣の部屋に泊まっている顧問とコーチの使い走りも美由さんたちマネージャーの役目で、夜間でも用があると呼びだされた。朝は朝で、五時前に起きて朝食の支度を手伝わなくてはならない。

 就寝前のひととき、美由さんはきまって、蒲団の海を渡った向こうに見える横に長い窓を眺めた。

 ガラスの外で、夜空が底知れない群青色を繰り広げていた。蒲団の中から、その美しい夜の色を眺めると、今日も無事に終了したことを実感した。するとたちまち気持ちよく脱力して、不意に叩き起こされることがあったにせよ、とりあえず眠りに落ちることができた。

 あっという間に日が過ぎて、やがて最終日を迎えた。

 その日の夕食は打ち上げを兼ねていて、ご馳走やジュースがふんだんに出された。そのため美由さんは少し飲み食いしすぎたようである。

 いつもはそういうことはないのに、尿意で夜中に目が覚めてしまった。

 周囲では、さざなみのように大勢の寝息が寄せたり引いたりしている。

 半身を起こしても、気づくようすの者はなく、広い室内全体が眠りの最中にあった。

 枕もとの時計で時刻を確認すると、午前二時をわずかに過ぎたところ。

 起床するのは、これから二時間以上も先である。

 そんなに長くトイレを我慢していられるわけがなかった。

 室内には冷房がかかっていた。引き戸をそっと開けて忍び足で廊下に出ると、冷気を逃がさないように静かに戸を閉めた。

 それからトイレに向かって歩きだしたのだが、廊下の行く手が暗黒に呑まれており、先へ行くほど闇が深くなる景色が、なんとも不気味に感じられた。

 廊下は空気も生ぬるい。歩くほどに全身が汗ばんでくるのも、たまらなく不快だった。

 さっさと用を足して、涼しい部屋の蒲団に戻りたいところだ。

 これが合宿が始まってから初めての単独行動になることに、そのとき思い至った。

 廊下の突き当たりの手前で、渡り廊下が枝分かれしている。そっちへ進んで、そのまた突き当たりを横に曲がった先の、階段の隣にトイレがあった。さほど複雑な道順ではないし、そろそろ通い慣れてきてもいたので、いかに方向音痴であっても迷うわけがなかった。

 部屋の前の廊下は真っ暗だったが、渡り廊下には窓があり、月明かりが差し込んでいた。

 青い月影に照らされて二〇メートルほどヒタヒタと進み、突き当たりを曲がると、再び暗いトンネルのような廊下に入った。そこをさらに少し歩く。

 ほどなく階段の出入り口が見えてきて、その横に女子トイレがあったので、美由さんはホッと息を吐いた。

 トイレに入ると、足もとのタイルからひんやりとした空気が脛に絡みつくように這いのぼってきた。壁際のスイッチを入れたところ、ブン……と低く唸って天井の蛍光管が点灯する。さっきから自分以外に音を立てる者がおらず、つい鼓膜に神経が集中してしまう。

 個室を使い、便座に水を流し、手を洗って、といった一連の動作の狭間に、いちいち静寂が背中から襲いかかってくるのだ。

 なにやら怖くなってきて、急いでトイレから出ようとしたのだけれど。

 ――そうだ。明かりを消さなくちゃ。

 咄嗟に思い出して、壁際のスイッチをパチリと押した。

 トイレの照明が消えて、眼の奥を闇が占拠した。

 その途端、頭の芯が暗転するような強い眩暈に襲われた。

 壁に手をついて踏みとどまったが、クラッと来た後も頭蓋が圧縮されるかのような重い違和感が一、二秒も続いた。

 ようやく眩暈が去り、歩きだそうとして、愕然とした。

 一瞬の内に、廊下の右方向か左方向か、どちらから来たのか忘れてしまったのだ。

 ――どっちだっけ?

 渡り廊下に辿り着ければ、そこから先はわかるだろうが、肝心の渡り廊下への戻り方が思い出せない。

 一六年生きてきて自分の正気を疑った経験などなかったけれど、これは今しがたの眩暈の影響か、それとも寝ぼけているだけか……。

 大いに困惑しつつ、試しに右の方へ歩きはじめた。

 ところが、行けども行けども、廊下が終わらない。

 方向を間違えたと悟り、引き返そうとして後ろを向いたところ、遠くに明かりが見えた。

 トイレから出たときは気づかなかったが、廊下のそちら側の先にある一室に照明が点いていて、光が零れている。

 ――顧問の先生たちかしら。

 顧問とコーチは隣の部屋に泊まっているはずだった。

 でも、そうだ、きっと打ち上げの続きをしているんだ。それで、私たちを起こさないように、こんな離れた場所に移動したのに違いない。

 先生方なら、きっと道順を教えてくれる。

 希望の火が灯り、美由さんはせっせと明かりの方へ歩を進めた。

 しかし、またしても、行けども行けども、到着しない。

 廊下が搗きたての餅のように伸びているのかと疑いたくなるほど、なかなか距離が縮まらなかった。

 光を見たときにはすぐに着くと予想したのに、すでに五分以上も歩いている。

 再び不安に包まれた。

 とうとう、泣きたい気持ちで駆けだした……と、どういうわけか、突然、その部屋のすぐ手前まで来ていた。

 さっきからずっと奇妙な現象が続いていると思わざるを得なかった。

 けれども、煌々と灯った照明が引き戸のガラス窓をやわらかな黄色に輝かせているのを見ながら、最前の緊張を維持することなど出来なかった。

 室内で数人の大人の男女が歓談する声と気配も、はっきりと伝わってきた。

 ――やっぱり、先生たちが宴会してたんだ!

 いっぺんに安堵が押し寄せてきて、美由さんは笑顔で「お邪魔します!」と告げながら、ガラリとその教室の引き戸を開けた。

 戸を開けると同時に、歓談の気配が消えた。

 室内には誰もおらず、代わりに、異様な光景が彼女を出迎えた。

 ……そう、確かに部屋は明るかった。

 しかし、誰も居ない。

 シーリングライトに照らされた室内に机と椅子が四〇組ばかり整然と並び、机の上には一輪挿しの花瓶がひとつずつ置かれ、すべてに一本ずつ、種類の異なる花が活けられていた。

 そして、それらの色とりどりで形もさまざまな花冠が、風もないのに頼りなげに揺らめいていたのである。

 美由さんは、あまりのことに腰が抜け、廊下の真ん中にペタンと座り込んでしまった。

 恐怖に喉を締めつけられて、叫びだしたいのに声が出ない。

 そんな彼女を嘲笑うかのように、教室の花たちは明るい光に包まれて、ふわふわと揺れつづけていた。

 震える手足で廊下を這って逃れようとしたものの、はかばかしく進まない。

 少し這っては休み、恐々と花々の部屋を振り返っては、また這って、ようやく壁にすがって立てるようになったとき、今度は、目の前にハイヒールを履いた足が現れた。

 ハイヒールは、冴えたレモンイエローをしたエナメル製で、尖ったヒール部分の高さが一〇センチ以上もあった。

 それを、くるぶしから下だけの足が履いている。

 不思議なほど清潔な印象だった。足首の断面は虚無を想わせる深い黒一色で、右足の甲にある直径五ミリほどの目立つほくろが、色白の肌に鮮烈に映えていた。

 そんなものが左右ひと揃い、足もとに佇んでいた。

 ……と、ほくろのついた右足が、カツンと踵を鳴らして一歩前へ踏みだした。

 次いで、左足もカツン、と。

 カツン、カツン、カツン、カツン、カツン――軽快な足音を立てながら、たちまちリズミカルに歩きだす。

 するとなぜだか、この足についていかなければ、という衝動が湧きおこってきた。

 美由さんは足を追いはじめた。

 見失う心配はなかった。いくらか蛍光みを帯びているようで、レモンイエローのハイヒールは、墨を流したような廊下から鮮やかに浮かびあがっていた。

 間もなく、月明かりに満たされた渡り廊下に出た。

 そのまま寝床のある部屋まで来ると、ハイヒールの足が引き戸の前で立ち止まった。

 開けろ、と命じられているように感じた。

 美由さんは、妙に魅力的なほくろを見下ろしながら、そろそろと戸を開けた。

 すると足は宙に踏みだして、そこに透明なスロープが存在するかの如く、眠っている部員たちの上の虚空を斜めに上がっていった。

 レモンイエローが窓の外の遥か遠くに去っていくのを、部屋の戸口から見送った。

 それから自分の蒲団に体を横たえると、安心したせいで急に眠気が込みあげてきて、何を思う間もなく意識が昏くなった。

「朝、隣に寝ていた人に肩を揺すって起こされると、すぐに昨夜のことが夢のように思われてきましたし、今でも現実にあったことなのかどうか半信半疑なんですよ」

 美由さんがこうおっしゃるので、私はそのキャンパスの所在地について調べてみた。

 もしも彼女の体験が心霊現象だったとしたら、そのようなことを生じさせる原因が見つかるかもしれないと考えた次第だ。

 その結果、キャンパス内とその敷地に隣接する道路沿いに、合わせて七つの塚があり、さらにその中心からは古墳が発掘されていることがわかった。

 中央の古墳は前方後円墳で、横穴式の石室があり、馬具や装飾具と共に多数の人骨が見つかっていた。

 また、その周りにある七つの塚はいずれも牛頭天王を祀ったものだという。塚の配置は北斗七星を模っていて、それぞれに樹齢を重ねた大木が生えているとのこと。

 これらの塚は、七つ合わせて「七天皇塚」と呼ばれているそうだ。

 美由さんの体験を裏づけるかのように、七天皇塚には不気味な言い伝えがある。

 七本の木の根元には、生贄として牛頭天王に捧げられた七人の子どもが埋葬されているという説が存在するのだ。

 それに、そもそも牛頭天王自体が、正体不明、出自不詳の恐ろしい神さまだ。

 牛頭天王は疫病を操り、人の生死を分ける。

『備後国風土記』にある逸話「蘇民将来」に武塔神という別名で登場し、その話の中で「吾は速須佐雄の神なり」と蘇民に対して名乗りながら疫病よけの術を説いた。それと同時に、彼を悪しざまに扱った巨旦の一族については、疫病に罹患させて皆殺しにしたというのだ。

 この逸話から、京都の八坂神社をはじめとして全国で神仏習合の祭神として民衆の信仰を集めたのだが、人の命を左右する力だけではなく、「武塔神=速須佐雄=素戔嗚尊=牛頭天王」と名前が変わるところも謎めいている。

 しかも、この牛頭天王が平将門と習合して、将門信仰にも結びついたというのだから、ますます不思議な感じがするではないか。

 七天皇塚があるこの地域一帯は、かつて坂東武者の雄であった千葉氏に領有されていた。

 日本では、古来より北極星や北斗七星を「妙見」として崇めてきた。

 妙見とは、善悪や心理を見通す神通力のことだ。

 千葉一族は、この妙見を一族の守護とした。平安末期より勢力を拡大し、鎌倉幕府の有力な御家人に躍り出た千葉氏は、妙見を武士団の弓箭神(弓矢の神。ひいては軍神)とすることで結束を図ったと言われているのだ。

 だから、千葉氏が領有していた地域には「妙見さま」こと北辰妙見尊星王を祀る神社や寺院が今も残っている。

 繰り返すが、七天皇塚は北斗七星を模っている。北斗七星すなわち妙見。ここは妙見信仰の地であったとする推理が生まれるのは当然だろう。

 では、それがどうして将門信仰に至るのかというと、千葉氏の血脈をさかのぼると平将門に辿りつくからだ。

 千葉氏の将門信仰を裏づけるものは枚挙にいとまがないとのことだが、その平将門も千葉氏に先んじて妙見を信仰していたそうで、そのためか、ここを将門の七人の影武者の墳墓であるとする伝説もある。

 はたまた「いや違う、千葉氏の七人の兄弟が祀られているのだ」「千葉氏の館の鬼門に置かれたものだ」と実は諸説入り乱れているのだが、総じて恐ろしげな言い伝えばかりだ。

 ――そのせいか、七天皇塚の木を伐採しようとすると祟られるという噂がある。

 噂と言っても、実際に、伐採の必要を説いていた大学関係者が不幸に見舞われたことがあるとか……。

 また、この大学のキャンパス内、とくに七天皇塚の周辺では、数々の心霊現象が目撃されているそうだ。

 しかも、ここでは陰惨な事件が発生したという経緯まで存在するから、祟りの噂が信憑性を帯びてくるのだ。

 ――もっとも、私には、この事件こそが心霊現象の原因を作っているのではないか、とも思われたのだが。

 昭和五十八年、西暦で一九八三年の一月のことだ。

 厳寒の早朝、新聞配達員の青年が白い息を吐きながらキャンパス付近の新興住宅地で新聞を配っていたところ、大学の敷地に隣接する路上で、若い女性の遺体を発見した。

 死因は絞殺で、深夜から未明にかけての犯行とあって、殺害当時の目撃者はいなかったが、被害者の身許はすぐに明らかになった。

 大学関係者や周辺住民の間で話題の人物だったのだ。

 彼女は、遺体発見現場から目と鼻の先の某大学医学部に勤務する研究員で、同じ大学の附属病院の研修医である男性と昨年一〇月に結婚して、新居を構えたばかりだった。

 夫婦は共に二十五歳。研究員や研修医というのは概して収入が低いものだ。だから、あるいはこの若さで一戸建ての家を新築しただけでも人々の興味を惹いたかもしれないが、なんと、この新居というのが、キャンパスの一角にある七天皇塚の端に敷地を喰い込ませる格好で建てられたものだから、いっそう注目を集めていたわけである。

 そんな場所に家を新築するには、金と力が必要だ。

 実は、夫婦どちらの実家も、父が開業医として成功を収めていたのだった。

 だから双方の実家が新居の建築費用を折半し、さらに、子どもたちが結婚してそこに入居してからも生活費を仕送りしていた。

 妻の実家の方が裕福だったがために夫が入り婿になり、そのためか、当時としては珍しく、夫婦の立場が対等であったことも、大学関係者の間ではよく知られていたそうだ。

 つまり彼らは、傍から見れば、非常に甘やかされた子ども同士のカップルであると同時に、時代の先を行く理想の夫婦のようでもあったのだ。

 当然、羨望と嫉妬に取り巻かれただろうし、しかも大学の医局勤務は激務だというから、夫婦それぞれにストレスを溜め込んだとしてもおかしくない。

 捜査が進むうちに、七天皇塚の新居で暮らしはじめた頃から夫が水商売の女性に入れあげており、夫婦仲に早くも亀裂が走っていたことが判明した。

 警察は、すでに重要参考人としていた夫を、あらためて殺人容疑で逮捕した。

 それから次第に真実が明らかになった。

 彼は、逃げる妻を追いかけて路上に押し倒し、首を絞めて窒息死させた後、亡骸をその場に無雑作に遺棄して家に戻ると、何喰わぬ顔をしていたのだ。

 マスコミは、この事件を必要以上におもしろおかしく書き立てた。

 程なくして、今度は、夫婦の実家の両親が、四人全員、相次いで病死してしまった。

 いくら心労に耐えかねたにせよ、四人ともまだ死ぬような年齢ではなかったのに……。

 その後、最高裁で有罪が確定してから九日後、殺人犯となった夫も、独房の畳から引き抜いた糸で自ら首を括って自殺した。

 こうして、七天皇塚のそばの家に関わった家族六人全員が亡くなった。

 これが牛頭天王や平将門の祟りによるものだったのか、偶然なのか、わかるはずもなかったが、件の家はすみやかに取り壊されて、現在は跡形もない。

 ちなみに、この事件で殺害された妻がそういう靴を愛用していたかどうかは確かめようがないけれど、彼女が亡くなった八〇年代初頭は、ネオンカラーのファッションとハイヒールが流行した時期だ。

 輝くレモンイエローのハイヒールは、如何にもその頃のもののように感じられる。

 もしかすると、夫によって命を絶たれた被害者の魂が、夜毎、お気に入りの靴を履いて事件現場周辺をさまよっているのではないか。

 そして美由さんの前に現れたあの晩も、朝が来る前に帰っていったのでは……。

 今では幻となった、七天皇塚の家へと。

(了)

朗読動画(怪読録Vol.78)

【竹書房怪談文庫×怪談社】でお送りする怪談語り動画です。毎月の各新刊から選んだ怖い話を人気怪談師が朗読します。

今回の語り手は 怪談社の上間月貴 さん!

【怪読録Vol.78】電車で隣に座った男が、異常な行動を――川奈まり子『実話奇譚 蠱惑』より【怖い話朗読】

商品情報

著者紹介

川奈まり子 Mariko Kawana

『義母の艶香』で小説家デビュー。実話怪談では「実話奇譚」シリーズ『呪情』『夜葬』『奈落』『怨色』、「一〇八怪談」シリーズ『夜叉』『鬼姫』のほか、『実話怪談 穢死』『赤い地獄』『実話怪談 出没地帯』『迷家奇譚』『少年奇譚』『少女奇譚』など。共著に「怪談四十九夜」「瞬殺怪談」「現代怪談 地獄めぐり」各シリーズ、『実話怪談 犬鳴村』『FKB 怪談遊戯』『嫐 怪談実話二人衆』『女之怪談 実話系ホラーアンソロジー』『怪談五色 破戒』など。近著に『東京をんな語り』。
TABLO(http://tablo.jp/)とTOCANA(http://tocana.jp/)で実話奇譚を連載中。

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怪異の体験者の話を直接聞き、怪異が起こった現場と言われる場所に足を向ける。そうして綴られた奇譚の数々――。待望の子供が突然死、以来、身辺になにやら気配が・・・「祓われない子」、アンティークの帯に纏わる奇妙な出来事、紐解かれる黒い過去とは?「帯の祟り」、誰のものでもない夜中の足音、それはやがて自分に近づいて・・・「縁切り傷」など38話収録。体験者たちの生々しい恐怖を追体験せよ!

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誰もが気づかぬうちに踏み入っている忌み地、出ることは叶わない。

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