【日々怪談】2021年4月3日の怖い話~ 可哀想
【今日は何の日?】4月3日:愛林日
可哀想
杏子さんが住む県営住宅の脇には小さな公園がある。
その公園と住宅棟の間を通る道路脇に、大きな樹が植えてある。
何の樹なのか、種類は分からない。
とにかく、杏子さんが物心付いたときにはそこにあった。
ある日、近所に住む青年がそこで首を吊った。
大学を卒業し、就職して一年を過ぎた頃だった。
仕事先の人間関係で悩んでいたらしい。
以来、枝にぶら下がる人影が度々目撃されるようになった。
「ここ、人がいるよね?」
杏子さんは友人・美枝さんに訊いてみた。
彼女は所謂「見える」人で、「聞く」ことができる人でもある。
その彼女が遊びに来る度、件の樹に目を泳がせるのだ。
やはりそこに「いる」のだろうかと、それが気になった。
「いや、いない」
美枝さんはきっぱり言い切った。
彼女曰く、普通こういった場所には霊の意思や気配が色濃く纏わりつくのだが、ここに見えるものにはそういうものが一切感じられない。
寧ろ古い映画のワンシーンを切り取って、そこだけを繰り返し見せられているような、そんな印象だという。
彼自身は自分の死を納得して受け入れ、既にここに留まってはいない、と感じているようだ。
では何故、青年の姿がいつまでもここにあるのか。
「樹がね、可哀想だ、って」
己が立つ傍らの公園で彼が遊び、笑う姿を、その成長を、この樹はずっと見てきた。
昨日まであんなに元気だったものがどうして簡単に死を選んでしまうのか。
そう嘆いている、と美枝さんは言うのだ。
「その人が確かにここで生きてたことを覚えていてほしい、忘れないで、って言ってる」
杏子さんは涙が溢れて止まらなかった。
青年は幼馴染みだった。
とても優しくて、幼い頃から杏子さんを妹のように可愛がってくれた。
だからもし、青年がそこに囚われたままでいるのなら、何とかしてやれないものかと心を痛めていたのである。
青年が既にここにいないと知って、杏子さんは安堵した。
そうして翌日から、美枝さんのアドバイスに従ってあの木の下で手を合わせた。
「もうお兄ちゃんは苦しんではいないよ。悲しんでくれて、本当にありがとう」
そう語り掛けるようにして祈った。
一週間が経った頃、影は現れなくなった。
それ以降、そこで幽霊を見たという話を聞くことはない。
――「 可哀想」ねこや堂『恐怖箱 百聞』より