服部義史の北の闇から~第15話 魅惑~
斉藤さんは温泉巡りが趣味であった。
有休などを使っては、道内の彼方此方の温泉宿で宿泊をしていた。
とある連休のこと、道央圏の温泉宿に向けて車を走らせていた。
途中で一息入れようと、ある道の駅に寄り道をする。
ソフトクリームを買い、車内で食べながら周囲を見渡す。
(結構な台数がいるなぁ)
楽しそうな家族連れやカップルを見て、気持ちを和ませる。
(さあ、もうひと頑張りしますか)
構内を徐行しながら、国道に戻ろうとした。
すると、前を走行している車に違和感を覚えた。
白い高級セダンであるのだが、トランクのところから何かが出ている。
少し車間を詰めるようにして、目を凝らす。
――出ていたのは、親指を除いた四本の指であった。
まるでトランクから這い出たようなその指は、綺麗に並んでいる。
一瞬、ドキッとしたが、そういうジョークグッズがかつて販売されていたことを斉藤さんは知っていた。
「何だよ、ビビらせやがって。本当に悪趣味だなぁ」
気を取り直し、運転を続ける。
暫く走行していると、斉藤さんには色々と疑問が湧いてきた。
今もまだ前方を走行している高級セダンであるが、そういう車の人がこのようなジョークグッズを付けたりするものだろうか?
そもそも、あの指の色は、もっと玩具っぽさがあったような気がする。
しかし、前の車に付いている物は、本物のようにしか見えない。
(まさか本当にトランクの中に人がいるのでは?)
斉藤さんはもっと注意深く観察しようと、車間を詰めていく。
色、質感ともに、やはり本物の指のようにしか思えない。
しかし、トランクは完全に閉じた状態になっており、現実的に考えても人間の指である筈はない。
(ってことは、わざわざリアルに見えるように彩色し直したってことか……)
そう思った瞬間、出ていた指はまるでピアノの鍵盤を叩くように、滑らかな指裁きをみせた。
「……っっツ!!」
動揺した斉藤さんだが、そのタイミングで前の車との車間が一瞬で縮まった。
慌ててブレーキを踏むが間に合わず、追突をしてしまう。
(やっちゃった……)
セダンから降りてきた中年男性は怒声を上げている。
斉藤さんも速やかに車から降りて謝罪するが、相手の怒りは一向に収まらない。
「あんたさっきから何なのよ!? 車間をやけに詰めてくるなって、思ってたらぶつかってくるし。抜かすんなら、とっとと抜かせばいいのに、何をやってんのよ」
「いや、その、抜かしたかった訳じゃなくて、指が気になって……」
「はぁ!? 自分の指が気になって、前を見てませんでしたってか!?」
「いや、そうじゃなくて、トランクの指が気になって……」
「あんた、酒か薬でもやってんのか?」
弁明しつつも自分の状況を説明し続けるが、相手側には一向に伝わらない。
むしろ怒りに拍車を掛けるだけであった。
暫くして漸く警察が到着するが、相手の怒りは収まらないままであった。
警察が状況確認をしようと二人を引き離す。
「おまわりさん、そいつ酒か薬をやっているわ!! 危ない奴だわ!!」
少し離れたところから、男性が声を荒らげている。
「えーと、お酒とか飲んでいるんですか? ちょっと確認しますね」
警察官により、斉藤さんが飲酒や薬をやっていないことはすぐに証明された。
「では、どういう状況で事故にあったのか説明してもらえますか」
「いやその、前の車のトランクから指が出ていまして……」
「指……ですか?」
「いや、玩具かもしれないんですが、それに気を取られてぶつかりました」
相手側のトランクを警察官と一緒に確認するが、中には何も入っていなかった。
周囲を確認しても、玩具の指のような物は落ちてはいない。
「はい、わかりました。では、貴方がちゃんと前方を確認していなかった。また、車間距離を保っていなかったことが事故の原因ということでいいですね?」
「……はい」
納得はいかないが、そう言わざるを得ない状況である。
どちらの車も走行は可能ということで、連絡先を交わして現場を離れることになった。
「では斉藤さん、この後は安全運転でお願いしますよ」
警察官に見送られ、車を走らせる。
……あれは一体何だったのだろうか?
頭の中の整理ができないまま、運転を続ける。
もはや温泉のことなどどうでもいいような気もし始めていたが、嫌なことがあった以上、ゆっくりとお湯に浸かって全てをリセットした方がいいような気もする。
(切り替え、切り替えっと。あ、保険会社にも連絡しないとな。ホテルに着いてからでいいか)
予定時刻を大幅に過ぎた状態で、漸く温泉宿に辿り着いた。
駐車スペースに車を止め、さあ降りようと思った瞬間、フロントガラス越しに何かが見える。
――人間の右手首だった。
全ての指を波打つようにしながら、フロントガラスの下から上へと這い登っていく。
唖然としながらその光景を見続けていると、ルーフまで辿り着いたのかその姿は見えなくなった。
一瞬の間を置き、慌てて車から飛び降りる。
ルーフ部を覗き見るが、右手首の姿は見当たらない。
周囲、車の下と探して見るが、どこにもその姿はなかった。
斉藤さんが右手首を見たのは、この一回だけだという。
著者プロフィール
服部義史 Yoshifumi Hattori
北海道出身、札幌在住。幼少期にオカルトに触れ、その世界観に魅了される。全道の心霊スポット探訪、怪異歴訪家を経て、道内の心霊小冊子などで覆面ライターを務める。現地取材数はこれまでに8000件を超える。著書に「蝦夷忌譚 北怪導」「恐怖実話 北怪道」、その他「恐怖箱」アンソロジーへの共著多数。
★「北の闇から」は隔週金曜日更新です。
次回の更新は12/18(金)を予定しております。どうぞお楽しみに!
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