「片町酔いどれ怪談 」営業のK 第11回 ~フィリピンパブ~
これは俺がまだ霊能者のAさんと知り合いになる、ずっと前の話になる。
その頃、俺は仕事のストレスのせいか、突如、呼吸困難に陥り、救急車で運ばれた。
診断の結果は、パニック障害。
仕事は休む事が出来なかったので、通院での治療を受けながら、やっとの思いで日々を過ごし、生きながらえていたというのが正直なところだった。
とにかく、自分がパニック障害であるという事、そして救急車で運ばれた時の事を思い出すだけで、簡単に呼吸困難の発作に襲われてしまうのだから、本当に厄介な病気である。
自分は本当に元の生活に戻れるのだろうか……。
そんな諦めにも似た気持ちと、家族の為に頑張らなければという気持の狭間で、苦しんでいたのだと思う。
医者が言うには、パニック障害というのは必ず治る病気だから、のんびりじっくりと治療していきましょう、時間が経過するうちに恐怖も薄らいでいきますし、少しずつ良くなっていきますから焦らないでいきましょう――と、いま思えばかなりアバウトというか、消極的な治療だったように思う。
もちろん、そんな言葉で俺の不安は消えてくれない。
そのうち俺は、発作が起こりそうになると、わざと自分の体を痛めつける事で呼吸が出来ないという意識を、痛みに逸らすという方法を思いついた。
いわば、恐怖を痛みにすり替えたのだ。
金属製の尖った物を自分の足に押し付け、出血する寸前まで足に食い込ませる、という方法で……。
もっとも、こんな無茶なことが1日に何度も出来るはずもなく、実際はパニック障害の発作に翻弄される生活が続いていた。
そんな時、ある事実に俺は気付いた。
それは、寝ている時と同じように、アルコールを飲んで他人と話している時には一切発作が起きないという事。
医者にその事を伝えると、「アルコールは危険だから止めてください!」という返答が返ってきた。
そうは言われても、ようやく発見した対処法――飲酒というリハビリ法を止めるつもりは毛頭無かった。
それから、妻の許可を得たうえで、毎日、会社が終わるとそのまま片町に飲みに行くという日々が始まった。
その中でも足繁く通ったのが「フィリビンパブ」という場所だった。
低料金で、女の子も綺麗で可愛い。
ショーもあったし、何より話し好きな子が多かったから、自分の病気にはもってこいの場所だった。
実際、その店で飲んでいる間は1度も発作が起きる事は無かったし、日常生活でも発作が起きる頻度がどんどんと減っていった。
だから、俺のパニック障害は、片町で飲んでいるうちに完治したというのが、嘘のような本当の話だ。
さて、その店には1人だけ俺のお気に入りの女の子がいた。
名前は、ダイアンという名前だったが、中国系ハーフのフィリピン人であり、派手な所も無く、それでいて話しているととても楽しい女の子だった。
だから、いつもその店に行くと、ダイアンを指名した。
指名料は千円だったと思うが、その子と話しているだけでとても癒されるのだから、お金が勿体ないとは少しも思わなかった。
俺が店に行けば、いつでもダイアンは笑顔で迎えてくれたし、それによってどれだけ心が癒されたか、計り知れない。
しばらく足繁く通う日々が続いたのだが、ある時期からダイアンの他にもう1人、別の女の子が同席するようになった。
お酒も飲まず、ただ黙ってニコニコと笑っているだけの女の子だった。
他のテーブルは、客1人に対して女の子1人しか付いていなかったから、おや?とは思った。けれども、きっと毎日通っているうちに、俺も常連として特別待遇を受けるようになったのだろうぐらいに考えていた。
ダイアンが何か話すたびに、その女の子も相槌を打ってニッコリと笑う。
確かに異常に口数の少ない女の子ではあったが、見た目はしっかりと可愛く、いつもニコニコと笑っていた。
帰りの会計の際にも、その女の子がテーブルに付いた分の金額は一切記載されていなかったから、やはり常連サービスなのだろうと納得した。
俺としては、十分満足できる楽しい時間であったことは間違いない。
ダイアンも彼女の事が気になるのか、いつもチラッチラッとその女の子の事を見ていたし、二人並んで座っている姿は、姉妹のようにも見えた。
そんな時、トイレに立った際、別のスタッフの女性が近づいて来て俺に耳打ちした。
「あなた……視えてるの?」
最初は意味が分からなかったのだが、その女性の顔があまりにも真剣だったから、俺も少し興味を持って、そのまま話し込んでしまった。
その話を要約すると、こんな内容だった。
ダイアンには妹がいて、昔は同じようにこの店で働いていた。
ところが、しばらくしてその妹が自殺をしてしまった。
理由はわからない。
以来、店では怪奇現象が頻発しているらしく、お客さんの中には、まるでその妹に魅入られてしまったかのように店に通い続けて、そのまま行方不明になったしまった人もいるのだとか。
だから、あなたも気をつけた方がいい。
大切なお客様だから、本当はこんな事を言ってはいけないのかも知れないが、もうこの店には来ない方がいいのかもしれない……。
そう、言われた。
確かに、その女性の話を信じれば、どうして俺のテーブルにだけ2人の女性が付いているのかという疑問にも説明がついた。
しかし、だからといって、あんなに可愛い女の子が既に死んでいて、お客さんを行方不明にさせるなんて怖ろしいことをするなど、簡単に信じられるものではなかった。
俺は何も聞かなかった事にしてそのままテーブルに戻り、閉店時間の午前1時まで楽しい時間を過ごした。
次にその店を訪れたのは、3日後。
このところ仕事が忙しくて、どうしても片町に出る事が出来なかったのだ。
3日ぶりの店に着くと、女の子たちの雰囲気がいつもとは違っていた。
あの夜、俺に耳打ちをしてくれた女性の姿も其処には無かった。
怪訝に思いつつも、いつものようにダイアンを指名すると、例の女の子も一緒に席へとやって来た。
しばらくは3人で楽しく飲んでいたが、やはり店の雰囲気が気になってしまい、トイレに行くフリをして、店長に聞いてみた。
「……今日は店の雰囲気がいつもとは違うね。
どうしたの? 何かあったの?
それにほら、いつもいる女性がいないみたいだけど……?」
すると、店長は耳打ちするように、
「あの……、内緒ですからね?
実は、スタッフの女性が1人亡くなりました。
死因は心臓発作なんですが、発見された状態が普通じゃなかったみたいで……。
細かいことは言えませんが、それで昨日までは警察も来てたんたですよ」
そう話してくれた。
確かに、先日、俺に忠告してくれた女性の姿が見えない。
だとしたら……亡くなったのはあの女性なのか?
その時、初めて背中に冷たいものを感じた。
もしかしたら、俺に話したせいで――――
そう考えると、どんどん恐怖が膨れ上がり、津波のように襲ってきた。
実際、そのまま会計を済ませて帰ろうとまで思ったが、寸でのところで思いとどまった。
何となくだが、そんな事をすれば逆に自分の身にも厄災が降りかかるような気がしたのだ。結局、そのまま平静を装ってテーブルに戻った。
席に戻ってからもダイアンの様子はいつもと変わらなかった。
しかし、同席している女の子の様子が明らかにおかしかった。
いつもは口数は少ないながらもニコニコと笑っているのに、その時の彼女の顔は冷え切っていた。俺の心の内を探るように、冷たい視線でじっと俺を睨んでいる。
正直、嫌な予感しかしない。
だからといってそれを悟られてはいけない……。
俺は出来るだけいつもと変わらないように振る舞った。
しかし、どう取り繕っても、彼女には俺の恐怖が手に取るように分かっていたのかもしれない。
やがて女の子の顔が少しずつ肥大していき、顔色も赤みが消え、青くなり、最後には紫色になった。
そして、俺の見ている目の前で、女の子の首が飴のようにじわじわと縦に伸びていく。
その時、俺は確信した。
あの女性スタッフが言っていた事は本当だった。
そして、自殺というのは、きっと首吊り自殺だったにちがいない、と。
それに気付いてからの俺は明らかに動揺していたのかもしれない。
気が付くと、明るかったダイアンまでが俺の顔を探るようにじっと見ていた。
それはもう地獄のような長い時間だった。
何とか閉店時間になりホッとしていると、ダイアンが俺に向かってこう言った。
今度からは私の妹があなたの相手をします。
名前はメイといいます……。
だから、今度からはお店に来たら、「メイ」と指名してくださいね……と。
俺は言葉も無くただ頷いた。
そして、そそくさと代金を払い、逃げるように店を出た。
当然のことながら、もう二度とその店に行くつもりはなかった。
しかし、事はそれほど単純なものではなかった。
それからは、朝でも夜でも――否、真っ昼間でも、そのメイという女の子が俺の側に居るようになった。
朝起きると、必ず部屋の中に座っていたし、昼間仕事をしていても必ず俺のすぐ傍に立って俺を睨んでいた。
夜寝ている時も、気が付くと、そのメイが枕元に座り込み、俺の顔を覗き込んでいる。
何より不気味な事に、そのメイという女の子は、どんどんとその体を大きくしていき、
逆にその顔はどんどんやせ細り、腐っていき、見るに堪えない程の不気味なモノになっていった。膨れ上がる体の上に崩れた梅干しか干し無花果がついているような按配だ。
俺は藁にもすがる思いでお寺に行き、お守りを持ち、粗塩や護符も身につけるようになったが、メイの存在はどうやっても消えることは無かった。
俺もなかば諦め始めていた。
もう、自分は死ぬのだと、本気でそう覚悟していた。
だが、そんなある日、突然、そのメイが俺の前に姿を現さなくなった。
なぜ急にそうなったのか皆目分からなかったが、暫くしてある噂を、俺の耳にこんな噂が聞こえてきた。
それは、あの店で更なる怪奇現象が頻発するようになり、客や店の女性たちにも不幸が連鎖している、と。
店長は、行方不明になったまま見つかっておらず、店は完全に開店休業状態なのだとか。
更に怖ろしいのは、店がそんな状態であるにもかかわらず、1人の客が毎夜、開店から閉店まで店に入り浸っているらしい。
それはもう、何かに魅入られてしまったかのように、だ。
それを聞いてから、俺はもう一切その店には関わらないようにする事を決めた。
メイの標的が、俺からその新しい客に移った今しか、逃れるチャンスは無い――。
俺は直感的にそう感じ、己の本能に従った。
それからしばらくして、店はつぶれた。
更に、その店に通い詰めていた例の客が、飛び降り自殺をしたという噂を聞いた。
この事は一刻も早く記憶の中から消してしまわなければ何かとんでもないことが起きるに違いない……本気でそう思った。
そのせいか、つい最近まで、俺の記憶からは完全にその時の記憶が消えてしまっていた。
しかし、何故かつい先日、その記憶をしっかりと蘇らせてしまった。
メイの声も、メイの顔も、飴のように伸びていく首も……全て。
俺はいま、再びメイが俺の前に現れるのではないかと、それが不安で仕方がない。
勿論、今ならばAさんや姫といった心強い仲間がいるにはいる。
ただ、俺にはこう思えて仕方がないのだ。
メイは、まだあの場所にいる……。
潰れて空きフロアーになって久しいあの店の中で、彼女はいまもひっそりと俺の指名を待っているのではないか、と。
著者プロフィール
著者:営業のK
出身:石川県金沢市
職業:会社員(営業職)
趣味:バンド活動とバイクでの一人旅
経歴:高校までを金沢市で過ごし、大学4年間は関西にて過ごす。
幼少期から数多の怪奇現象に遭遇し、そこから現在に至るまでに体験した恐怖事件、及び、周囲で発生した怪奇現象をメモにとり、それを文に綴ることをライフワークとしている。
勤務先のブログに実話怪談を執筆したことがYahoo!ニュースで話題となり、2017年「闇塗怪談」(竹書房)でデビュー。
好きな言葉:「他力本願」「果報は寝て待て」
ブログ:およそ石川県の怖くない話! 段落
★「片町酔いどれ怪談」は隔週金曜日更新です。
次回の更新は8/21(金)を予定しております。どうぞお楽しみに!