新黄泉がたり黄泉つぎ

「いつもの風景」渡部正和

 綾さんが小学生の頃の話。
 
「もうすぐ卒業だよね」
 何気ない綾さんの一言で、周りの友人達が彼女の席に集まり始めた。
 そして彼女達による小学校の思い出話や、新しく通うことになる中学校への不安などが次から次に語られていった。
 下校時刻は過ぎていたせいか教室内は疎らであったが、彼女達のおしゃべりは続いていく。
「色々と寂しくなるよね」
 グループ内で一番仲が良かった幸子ちゃんが、ぼそりと言った。
「そうだよね。いっつも通ったあの道も、もう通らなくなっちゃうんだもんね」
 綾さんは心の片隅に何とも云えない思いを抱きながら、しんみりと言った。
 彼女と幸子ちゃんはご近所同士だったこともあって、六年間ほぼ毎日一緒に登校していた。
 いつも二人で歩いたあの道も、もうあまり通らなくなってしまうと考えると、綾さんは妙に物寂しさを感じたのである。
「……なんか、悲しいよね」
 幸子ちゃんは少々涙目になっている。
「うん、色々悲しいよね。あ、あのポスターももう見ることがなくなっちゃうのかなあ」
 綾さんは登下校にいつも見かける、古ぼけたポスターの話をした。
 それは、小汚い古ぼけた雑居ビルの隙間を隠すかのように、通りに面して貼ってあった。
 陽焼けや経年劣化で大分色褪せてはいたが、顔立ちのはっきりとしたショートヘアーの中年女性の顔のアップが写っている。
 おそらく芸能人か誰かのポスターを、ファンがあの場所に貼ったのであろう。
 何故なら、商品名やメーカー名がポスター内のどこにも見当たらないことから、何かの商品の販促ポスターとは到底思えなかったからである。
 しかも理由は分からなかったが、その女性は何故か瞼を閉じており、色鮮やかな大小の花々に囲まれている。
 何処となく不気味ではあったが、それより何より、その女性の倖せそうな表情は何度見ても見飽きないものであった。
 今日も見たあの光景を脳内で再生していると、予想外の答えが返ってきた。
「えっ、ポスターって、どこにあるやつ?」
 相変わらず涙目になりながらも、幸子ちゃんが訝しげに返してくる。
「ユッキー、何言ってるの? ほら、あそこのポスターだよ。潰れたお弁当屋さんのビルの間にある……」
 綾さんが説明し始めるが、幸子さんは半ばぽかんとしながら、全く意味がわからないような不可思議な表情をしている。
「ポスターなんて、貼ってないじゃん。あれでしょ。いっつもアヤが気にしている、あのビルの隙間でしょっ?」
 話を訊いてみると、確かに場所に間違いは無かった。幸子ちゃんと綾さんが話しているその箇所は、全くの同一であった。
 しかし、どうも話が噛み合わない。
「私、どうしてアヤがあそこをいっつも気にしてるのかなって、思ってたんだけど」
「気にしているも何も……」
 あんなところにポスターが貼ってあったら気になるのは普通なのではないか、と綾さんは思った。
 むしろ幸子ちゃんは全く気にならなかったのであろうかと訊ねようとした、そのとき。
「あのねえ、アヤ。あそこにはポスターが貼ってあったことなんて一度も無いって」
 しんみりとした気分がいつの間にか消え去ったらしく、幸子ちゃんは断言するかのようにぴしゃりと言った。
「ねえっ! あそこのポスターなんて誰か知ってる? ほらっ、あのビルの……」
 幸子ちゃんは周りの友人達に話を振ってみるが、皆一様にあの場所にポスターなんて無いと声を揃えたのであった。

「よくよく考えると、あの位置にポスターが貼ってある筈がないのよね」
 確かに不思議で合った。彼女の話を聞く限りでは、人一人がやっと通れるようなビルとビルの狭い隙間に、例のポスターが貼ってあったとのことであった。
 しかも、通りに向かって、である。
 とすると、自立式の立て看板か掲示板のように、足を持ったスタンドのようなものが無ければ、ポスターを貼ることは出来ない。
 勿論、ポスターが宙に浮かんでいればその限りでは無いが、流石にそれは無いであろう。
「六年間もの間、私が見ていたのって一体何だったのでしょうか」
 どうしても解せないらしく、複雑な表情をしながら、彼女はぽつりと呟いた。
「しかも、私が見ていたあのポスターって、どう考えても……」
 それを最後に、彼女は二の句が継げなかった。
 あの教室での出来事以来、あの場にいた誰もが例の道を避けるようになったとのことであった。
 綾さんや幸子ちゃんも例外ではなく、多少遠回りをしても、決してあの道だけは通らないようにして小学校を卒業したのである。

 あれから数十年の月日が経って、綾さんは現在他県で暮らしている。
 今でも年に一度は帰省しているが、あの道だけは決して通るまいと、彼女は固く誓っている。

★次回は三雲央さんです。どうぞお楽しみに!

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