新黄泉がたり黄泉つぎ

「青鬼」真白圭

 昨年の春先、中華料理屋で友人のAさんと食事をしたときのことだ。
 料理を箸で突きながら他愛もない会話をしていると、突然彼女が「あっ」と言ったきり、黙り込んでしまった。
 軽く頭を押さえ、視線も在らぬ方を見詰めている。
 心配になり、どうかしたのかと訊ねると、ぽつりぽつりとこんなことを言った。
「ちょっとね……いま急に、嫌なことを思い出しちゃって」

 彼女は都内にある分譲マンションの、三階に暮らしている。
 ダイニングと寝室が直線で繋がった間取りの二DKで、寝室のサッシ窓の向こうにはベランダが設えられている。
 割と広く造られたベランダで、洗濯物を干すのに重宝しているそうだ。
 数日前の、ある晴れた休日。
 Aさんはベランダに出て、布団を天日干しにした。
 晴天のうちに、布団にできるだけ太陽光を吸わせようとしたのである。
 布団を物干し竿にかけ、布団叩きで丁寧に埃を落とした。
 ――そのときである。
 ふと、サッシ窓越しに覗いた部屋の中に、人の姿が見えた。
 白い着物を着た人影が、玄関からこちらに向かって歩いてくる。
 が、その日、部屋にはAさんしかいない。
(えっ、誰っ……?)
 思わずサッシ窓に近づこうとして、足が止まった。
 そいつは、鬼だった。
 憤怒の形相を浮かべた顔の額に、短い角が二本生えている。
 顔の皮膚だけが青黒く、酷く禍々しく見えた。
 鬼はダイニングの中ほどまで歩くと、直角に曲がってバスルームに入っていった。
 それっきり、いつまでも姿を見せなかったが、そのまま放っておく訳にはいかない。
 意を決して彼女がバスルームを覗きにいくと、青鬼はいなくなっていたという。

 話を終えると、Aさんは泣きそうな表情で深い溜息を吐いた。
 まるで溜息から、彼女の心痛が滲み出てくるかのようである。
 理由は、知っている。
 Aさんは、妹とそこの部屋で二人暮らしをしている。
 半年ほど前、病院の検査で妹さんの子宮に、肥大化した腫瘍が見つかっていた。
 悪性ではない。
 だが放置すれば、癌に変異する可能性が非常に高いと医師から言われている。
 そのため、現在は投薬を続けながら、腫瘍の摘出手術を待っている状態なのである。
(こんなときに、部屋の中で鬼を見るなんて……縁起が悪すぎるな)
 そう思ったが、さすがにAさんには言えなかった。

 いまはただ、妹さんの回復を願うばかりである。

★次回は営業のKさんです。どうぞお楽しみに!

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