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新黄泉がたり黄泉つぎ
「顔」
美春さんは昔からとても疲れた後に寝ると、決まって同じ夢を見る。
夢の中で毎回、美春さんは暗雲立ち込める薄暗い河原に立ち、黒い水の流れる川を見つめている。
川は濁流で沢山の大きな魚が流れに沿って泳いでいる。
正確には泳いでいるのは魚でなく、頭もヒレもないナメクジのような生き物だった。
美春さんは川の中でうねるその生き物たちを不安げに見つめており、夢が終わるといつも熱を出してそのまま寝込むことが多かった。
それは大人になっても続いていた。
美春さんは二十代後半のときに婚約した。
相手は勤めていた会社の先輩、陽一さん。
夏休みを利用して美春さんは、地方にある陽一さんの実家に挨拶に行った。
実家には陽一さんの兄夫婦、母親、祖母、曽祖母が住んでいた。
昔は豪農だったという陽一さんの実家に行き、最初は緊張していた美春さんだったが家の人々は皆、温厚で気さくだった。
そして「陽一が可愛い嫁さんを連れてきてくれた」と全員、喜んでくれた。
しかし、陽一さんの曽祖母だけは寝たきりだった。
挨拶のため部屋に行ったが、そこにはガリガリにやせ細り、もはや言葉も発することのできない小さな老婆が点滴で命を繋ぎながら布団で寝ていた。
曽祖母の枕もとには、彼女が若く美しかった頃の写真が置かれている。
戦前に撮られた写真の中から、まつ毛の長い黒髪の美女が微笑んでいた。
しかし、今現在の曽祖母の顔は骨に皮だけを張り付け、申し訳程度に頭髪をのせただけの無表情な仮面のようで、若い頃の面影は全くない。
「歳を取るって残酷ね……」
美春さんは曽祖母を見たとき、失礼だが真っ先にそう思ってしまったという。
次の日、美春さんは陽一さんの運転する車であちこち観光を楽しんだ。
だが、午後になると台風が迫ってきたので一旦、実家に戻ることにした。
帰る途中、実家近くの河原を通りかかったとき、美春さんは声を上げた。
いつも夢で見る河原とそっくりだったからだ。
美春さんは車を停めてもらうと、河原へと走った。
離れた所で降っている雨のせいか、川の流れは激しく水は黒く濁っていた。
暗雲立ち込める空、薄暗い河原、濁流と化した川の流れ、全部夢と同じだ。
そして、流れの中にナメクジのような生き物がうねうねと大量に泳いでいるところまで同じだった。
いや、唯一の違いは全てのナメクジの横腹辺りに、顔が張り付いていることだ。
それは若き日の曽祖母の美しい顔。
美春さんは無言で、のたうちながら泳ぐナメクジと曽祖母の顔を見つめていた。
すると、いつもと違ってナメクジたちに勢いがないように思えた。
「美春、どうしたんだ? 危ないから早く帰ろう」
陽一さんには、曽祖母の顔が付いたナメクジたちが見えないようだった。
実家に戻り、二人が玄関前に来たとき、家の中から陽一さんの母親や兄嫁の叫び声が響いてきた。
「おばあちゃんが、おばあちゃんが!」
玄関の戸が荒々しく開くと、浴衣姿の曽祖母が現れ、そのまま物凄い速さで走ってどこかに行ってしまった。
点滴に繋がれ、寝たきりだったはずの曽祖母が。
曽祖母が美春さんの横を通り過ぎる際、ニコッと微笑んで「終わらせる」とはっきり言った、という。
曽祖母はそのまま行方不明になってしまったが、そこからがさらに不気味だった。
実家では大往生したということで、すぐに曽祖母の通夜、葬式を執り行った。
祖母を始め実家の誰もが、曽祖母が台風の日に自力で立ち上がり、外に走っていって行方不明になったことについて触れなかった。
陽一さんに訊ねると「僕にも何が起きたか教えてくれない」と困惑しながら首を横に振るだけだった。
美春さんは陽一さんと結婚したが、これと言っておかしなことは起きていない。
ただそれ以来、美春さんは河原の夢を見なくなった。
彼女は現在、一児の母親で母子ともにすこぶる健康。
住まいの東京のマンションには、実家から貰った陽一さんの曽祖母の写真が飾ってあるという。
★次回は渡部正和さんです。どうぞお楽しみに!
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