竹書房ホラー文庫 ミニ連載

第一回「錯 覚」

黒木あるじ

「見間違いだと言ってしまえば、それまでなんですけれど」
Y恵さんが会社まで向かう道沿いに、小学校の校庭がある。
だだっ広いグラウンドに花壇や遊具を設えた、ごく普通の校庭。
彼女は、そこを通るたびにおかしなモノを見るという。
「イヤホンで音楽を聴きながら歩いていると、視界の隅っこに首を吊った女の人が映るんです」
えっ、と驚いて顔をあげると誰もいない。
首吊りの女が見えた位置には、彼女の背丈ほどの枯れかけた百日紅が、ぽつんと立っている。
「こんな枯れ木が女性に見えるなんて、私ってば寝惚けているのかな。最初はそう考えていたんですが」
何度そこを通っても、必ず女が見える。
改めて正視すると、在るのはやはり百日紅。しかし、どう見ても女に見紛うような形には思えない。
変わった現象だと思ったが、そのうちに慣れてしまった。

いつものように、お気に入りの曲を楽しみながら歩いていたという。
ふと、目の端で、ぶらんぶらん揺れる女が見えた。
いつもの事かと、顔をあげる。
「え」
樹木が、なかった。
校庭は何台もの重機が行き交っており、百日紅はおろか、遊具もすべて取り払われている。「新校舎造成にともなう工事のお知らせ」と書かれたトタンの看板が、目の前で風に揺れていた。
じゃあ、いま見たのは、何。
寒気が足元から一気にのぼってきて、早足で逃げ出した。
「もしかしたら、あの校庭で死んだ人でも居るのかもしれませんが」
怖くて、確かめる気は起こらなかった。
 
通勤路は、遠回りの別な道に変更したそうである。
 

第二回「啼 く」

久田樹生

由香利は小さなスナックでバイトをしていた。
その日は平日で、とても暇な日だった。
ママと軽口を叩き合っていると、客がひとり入って来た。初老で角刈り、職人風の男だ。初めて見る顔だった。
おしぼりを出しながら、由香利はその男に付いた。
和食の板前だと言う。二杯目の水割りの途中、男はこんなことを口走った。
「料理をするってことは、それだけたくさんの食材の命をな、奪っている訳よ」
だから、偶(ルビ:たま)には包丁を清めてやらなくてはならないのだと肩をすくめる。
「そいつを怠ると、啼くんだ。包丁が」
思わず耳を塞ぎたくなるような声であるらしい。ただ、それが聞こえる人間は殆どいない。自分以外にはひとりか二人くらいしか知らないと、男が笑った。
どうせ場を盛り上げる為の妄言だろう。この手の客は無難に話を合わせておけば面倒にはならない。ふと、このスナックで使っている包丁を見せてみようと思いついた。
「ねぇ、どうです? ここの包丁。啼いてます?」
渡してみた途端、男から笑顔が消えた。慌てた様子で包丁を手放す。「勘定!」逃げるように金を払うと外へ飛び出していった。見送るために後を追いかけると、エレベーターの釦(ルビ;ボタン)を必死に押している。
こちらに気付き、男が振り返った。
「あんた、あの店を辞めた方がいい。あの包丁な」
人を殺した包丁だ。とんでもない声で啼きやがる――そこまで言うと、男はエレベーターの中へ消えていった。
店へ戻り、笑いながら顛末(ルビ;てんまつ)をママに聞かせる。
彼女の表情が一変した。
翌日バイトに来ると、包丁が新しいものに変わっていた。

店を辞め、他の店に移った。
数ヶ月後、例のスナックは潰れ、別の店に変わっていた。
 

第三回「稲荷漬け」

加藤 一

アケミさんは、ニューハーフパブのママである。
海外での性転換手術の同意書にある「命の保証はしない」という一文を怖がるアケミさんは、全面改修済みの友人にアドバイスされた。
「まずはお稲荷さんだけ取ってみたら?」
漸く手術を決心し、彼女は手術に臨んだ。
手術は成功した。帰国するとき、手術をした医者から記念品をプレゼントされた。
「記念になるよ」と渡されたのは、ホルマリン漬けにされた瓶詰めのお稲荷さんだった。
「ええー? やだあ、要らない!」
しかし断り切れず。おいそれと捨てるわけにもいかず、置き場に困ったアケミさんは仕方なくマンションのクローゼットにしまい込んだ。
その晩から、部屋に泣き声が響くようになった。
出所は件のクローゼットである。
毎晩続く切なげな泣き声は、耳を塞いでも遮ることができず、アケミさんは怯えきってしまった。
「アタシのお稲荷さんが泣いてるのよ!」
原因はお稲荷さんしか思い当たらないのだが、一人で様子を確かめるのは怖い。そこで、アケミさんは友人に泣きつき、部屋に泊まってもらった。
そして午前一時。
件のクローゼットから、嗚咽を含むすすり泣きが聞こえてきた。
「ほら。ほらほらほらぁ! アタシ、怖い!」
友人は、怯えるアケミさんに代わり、勇気を振り絞ってクローゼットの扉を開いた。
見ると、お稲荷さんの入ったホルマリン漬けの壜が、涙でびっしょりと濡れていた、という。
さて、そのお稲荷さんはその後どうなったのか、というと。実は、まだアケミさんの手元にある。
「だって、こんなのどこに捨てたらいいのよっ!」
お稲荷さんの夜泣きは収まる気配がなく、今もアケミさんの部屋のクローゼットで、夜な夜なすすり泣きを続けている。
ちなみに、その泣き声はというと――
「あうっ、おっおっ、うぇん、あふん、ああん、うええっ、うぇうぇ、ふあん、あううう」
という見事な〈オネエ泣き〉である、そうな。
 

第四回「花 を」

高田公太

セツさんは時折、川沿いに花を捧げているという。
「むがし、大洪水があったんだねさ。こごいらの川っこ、全部溢れでまっでの」
昭和後期にあった記録的豪雨により市内の主だった川が氾濫を起こした。
「そんとぎだば、うっといだんだね。〈ほいど〉んずが」
当時、川沿いの河川敷には、多くのホームレスが住んでいたという。
当然、公表された被害による行方不明者の数に、彼らは含まれていない。
「わぁがここさ住むようになったのは、それがら十年ほど後だんだ」
中学校教諭である夫の転勤で引っ越した先が川沿いだった。
その頃には、市内の水路は十分に整備されており、洪水の記憶もちょっとした茶飲み話として落ち着いていた。
災害の爪跡がこれっぽちも残っていなかったことは、同時期である私の幼少期にこの目で確認している。
つまりは、私とセツさんにとって、大洪水は自分の生活とまったく無関係な歴史だったわけである。

これはセツさんが今でも見る景色である。
だから、〈ある日〉とは書かない。
セツさんが、夜半に家を出る。
すると、目の前の川が輝いている。
月の光に照らされている、といった程度ではない。
白く、眩しく輝いている。
そして、その中にいくつかの黒い影が動いている。
しばらくすると、輝きも影も消える。

「べづに怖ぇってもんでもねえべさ。仏様、大事にすべな」