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新黄泉がたり黄泉つぎ
「触れてくるもの」
令和二年の春、西山さんは母親になった。
待ち望んでいた末に、ようやく授かった娘だ。
名は優花とした。その名の通り、動作の一つ一つや泣き声に至るまで、柔らかな優しさに満ちた子である。
優花ちゃんには一つ、特徴があった。
西山さんの感情に敏感な反応を見せるのだ。
一般的に、そういう症状を見せる子供もいるが、優花ちゃんの感応力は尋常では無かった。
西山さんが、外出先で自転車と衝突した時のことだ。
留守を任されていた姑から聞いて分かったのだが、同じ時間に優花ちゃんが激しく泣いたのである。
日常においても、西山さんの喜怒哀楽が、そのまま優花ちゃんに伝わっているのは明らかであった。
ただし、優花ちゃんが敏感に反応する相手は西山さんだけである。
父親や姑には全く反応しない。
余程、母親が好きなのに違いないと皆が感心するほどだ。
優花ちゃんの成長に伴い、繋がりは更に深くなっていった。
いつの間にか、西山さんも優花ちゃんの気持ちが手に取るように分かってきたのだ。
そんなある夜、西山さんは不思議な夢を見た。
辺りは真っ暗である。体全体が温かな水に包まれている。
頭も水中に没しているのだが、息苦しくはない。むしろ心地良い。
抱えているストレスが全て溶けていく。
泣きそうなぐらいに穏やかな気持ちで目が覚めた。
何度も繰り返すうち、西山さんは新たな事に気づいた。
何処からか、歌が聞こえてくるのだ。メロディーは、シューベルトの子守歌である。だが歌詞が違う。その歌詞に覚えがある。
西山さんが適当に作った歌詞だ。
ここに至って、西山さんは気づいた。
これは、優花が私の胎内で過ごしていた頃の記憶ではないだろうか。
「優花ちゃんが見せてくれる夢って、お腹の中にいた時のこと? 」
思わず訊いてしまった。
その途端、眠ったままの優花ちゃんが、そうだとでも言うように小さく笑った。
それからも、西山さんのストレスが溜まる度、胎内記憶の夢は繰り返された。
おかげで毎日を快適に過ごせるようになったという。
優花ちゃんが無事に二歳の誕生日を迎えた夜。
いつものように西山さんは夢を見ていた。
膝を抱え、緩やかに揺蕩う。子守歌が聞こえてくる。
そこまでは一緒だ。
ふと、自分の他に誰かいる気がした。微かに笑い声が聞こえたのだ。
笑い声はすぐに止んだ。気のせいだったかもしれない。あるいは、優花ちゃんが笑ったのかも。
目覚めても、いつものような爽快感は無かった。
その夜を境に、夢が変わっていった。
水の温かさは変わりない。だが、底で何かが蠢いている。はっきりとその存在が感じ取れる。
姿形は分からないが、人間など一飲みで喰らってしまえる大きさだ。
夢を重ねる度、それは巨大になっていく。今までの穏やかな環境は一変した。
ストレスを感じた時だけの夢だったはずが、毎晩必ず見るようになった。
西山さんは眠るのが怖くなってきた。
とはいえ、夜通し起きていられるはずもない。
いくら頑張ろうとも、墜落するように眠りに落ちる。
夢に怯え、目覚める。また墜落する。この繰り返しである。
優花ちゃんの自意識が育つにつれ、大きなものは動きが活発になってきた。
時折、近づいて触れてくる。意外とその感触は柔らかだ。
眠れないせいか、西山さんは酷く痩せてきた。いったいあれは何なのかと訊いてみたいが、優花ちゃんが知るはずもない。
そもそも、夢を共有している事自体を信じてくれないだろう。
夢に怯え始めて半年目、西山さんは衝動的に家から逃げだした。
そこまで追い詰められていたのである。
海の見える宿で二週間過ごし、西山さんは家に戻った。途中で連絡を入れていたせいか、夫も姑も何も言わずに西山さんを受け入れた。
戻った日から、あの夢は見なくなった。それと引き換えに、優花ちゃんは西山さんを無視するようになった。
西山さん以外の人には微笑んだり、泣きついたりする。
西山さんには全くの無表情である。それは一年の間ずっと続いた。
優花ちゃんが三歳になった日のことである。その日も優花ちゃんは、西山さんを無視し続けていた。
とうとう耐え切れず、西山さんは優花ちゃんを激しく揺さぶり、問い質した。
「何よ、母さんが何をしたっていうのよ。元はと言えば、あんたの夢に出てくる馬鹿でかい奴のせいでしょ! あれ、いったい何なのよ! 」
優花ちゃんは冷ややかに西山さんを見つめて言った。
「おしえてあげない」
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「新・黄泉がたり黄泉つぎ」では当月の作家さんが来月の作家さんへ「お題」を出します。
来月の方はその「お題」にそった実話怪談を披露していただくことになります。
誰がバトンを受け取ったかは更新までのお楽しみ!
第9回・松村進吉さんからのお題は「悪夢」でした。いかがでしたか?
さて、第10回・つくね乱蔵さんからのお題はこちら!→「家族」
どうぞお楽しみに。