マンスリーコンテスト 2020年3月結果発表

怪談マンスリーコンテスト

ー 怪談最恐戦投稿部門 ー

2020年3月結果発表

最恐賞
パチンコときつねうどん
ミケとーちゃん
佳作
「卒業生常連」黒谷丹鵺
「卒業式」星野戦慄
「学ランのボタン」鬼志 仁

「パチンコときつねうどん」ミケとーちゃん

 会社員のAさんは、若い時にたまたま大勝ちをしたのを切っ掛けにパチンコに嵌った。
独身で母親と二人暮らしというある種の気軽さもあり、五十代の初めまで三日とあげずにパチンコを打つ生活を続けてきた。
勝ったり負けたり、というものの、給料もわずかなボーナスも結果的にはすべてパチンコですってしまい、少額ではあるが消費者金融に手を出したり、母親に二万、三万と無心することもあった。

このままではいけないと、パチンコをやめようとしたことも一度や二度ではなかったが、禁煙と同じで一週間ともたなかった。
勝ち負けに関係なく、台のハンドルを握らなければイライラして体調まで崩す始末だった。

もはや依存症のレベルであることを自覚しながらも止めることができない。
そうした危機感も、勝つと消えてしまうのだった。

その日は一年に、いや数年に一度というくらいに調子が良かった。
大当たりが止まらず、通路を塞がんばかりにドル箱が積み上げられた。
勝てるときに勝てるだけ勝っておく、というセオリーを頭に、ハンドルを握る手にも力が入る。

そんな時、ポケットの携帯が震えた。
母親が倒れたという病院からの連絡だった。
たまたま見つけた近所の人が救急車を呼んでくれたらしい。

すぐに行きます、と答えたものの大当たりの連荘は止まらない。
こんな大勝ちはこの先二度とないかもしれないと思うと、大当たりの続く途中で台を捨てることはできない。

全身から脂汗が吹き出し、身体が震えだした。
精神のバランスが崩れてしまう恐怖が迫る。

ふと、台のガラスに映りこむ人影が目に入った。
あまりの出玉に何人か野次馬が集まってきたのだろう。
その端にひと際小柄な人影があった。

「おふくろだったんです」

Aさんは直感的に母親が亡くなったことを悟ったという。
怖い顔で睨み付けているのだろうと思ったが、にこにこと微笑んでいる。

「子どもの頃に見た優しいおふくろの顔だったんです」

Aさんは涙と鼻水でくじゃぐしゃになりながら、ごめん、ごめんと謝った。
やがて大当たりは止まった。

後日、勝った金で借金を清算した。
わずかに残った小銭で、母親が好きだったきつねうどんを食べたという。

母親の遺影にパチンコをやめることを誓ったAさんは、以来一度もパチンコをしていない。

総評コメント

 3月ということで、今月のお題は「卒業」。ストレートに卒業式を扱った作品が6割、その他、精神的な何かからの卒業を扱った作品が4割という結果でした。
 最恐賞は、パチンコ依存症から卒業する切っ掛けとなった不思議体験を「パチンコときつねうどん」(ミケとーちゃん)。心理描写をリアルに描きながらも冗長にならず、無駄のない文章構成が評価されました。佳作1作目は、時代を越え何度も卒業アルバムに現れる忌まわしき存在「卒業生常連」(黒谷丹鵺)。こちらはタイトルセンスも秀逸でした。2作目はいじめっ子の卒業証書だけが黒く染まって見える不気味な怪異譚「卒業式」(星野戦慄)。2つの卒業の意味を掛け合わせたオチが良かったです。3作目は、亡くなった妻の遺品に潜む罠「学ランのボタン」(鬼志 仁)。二転三点する展開がドラマチックであり、1000文字怪談の可能性を見せてくれました。
 その他、最終候補に「遅刻の理由」(雨水秀水)、「紅白幕」(卯ちり)、「卒業制作」(ふうらい牡丹)、「さようならタジマ先生。」(音隣宗二)、「全員集合」(水曜)、「クレヨンの少女」(緒方あきら)、「靄」(heavenly bodies)、「名前」(影絵草子)、「残っていた」(井川林檎)の9作。今月は接戦で、大変選考に悩みました。本当にどの作品が佳作になってもおかしくない、良作揃いであったと思います。
 
 さて、卒業がテーマということで、今回は少ししんみりしたお話、抒情的な怪談が目立ちましたが、実話怪談という枠の中でセンチメンタリズムはどこまで表現してよいものか、これもひとつポイントになってくると思います。多くの実話怪談は聞き書き恐怖譚、つまり自分以外の誰かが体験した話を取材して綴ったものになります。その場合、体験者の心情に寄り添って描写することは大事ですが、かといってその人になりきってしまってはもはや小説になってしまうという危険があります。限りなく肉薄しながらも、入り込んで書き込み過ぎてはいけない。やはり聞き手という第三者の視点で、怪の全貌を捉えんとする冷静な目をどこかに残さなければなりません。それが、形式的には「~という」という表現になってくるのですが、勿論全部につける必要はなく、要所要所でそれがわかればよいのです。体験者から一歩引いて、客観的な視点に戻るということです。
 例えば「怖かった。気づけば涙が頬を伝っていた。その時〇〇さんは悟った。ああ、これは呪いなのか……。」という文。実際は体験者の〇〇さんから聞いた話なので、厳密には「怖かったという。気づけば涙が頬を伝っていたという。その時〇〇さんは悟ったという。」という伝聞表現になるかと思います。しかしそれでは文がうるさすぎるし、感情移入もできません。文脈にもよりますが、1か所だけ「という」を使って「怖かった。気づけば涙が頬を伝っていた。その時〇〇さんは悟ったという。ああ、これは呪いなのか…。」とすれば、客観的な視点を保ちつつも、話の主人公(体験者)の心情に肉薄した感じが出せます。
 実話怪談はその性質上、リアリティを支える一定のクールさが必要不可欠です。その上で、体験者の心の動きを生々しく(リアルに)伝えるために、心情に寄り添った主観的表現が求められます。こうして寄りと引きのバランスをうまくとることで、抒情的な怪談も安っぽい芝居にならずに、深い余韻を残せることと思います。
 次回、4月のお題は「植物」に纏わる怖い話。種子、草花、樹木……とかなり幅広くなりますので比較的投稿しやすいのではないでしょうか。この春、恐怖と不思議の息吹を感じさせるお話、お待ちしております!

現在募集中のコンテスト

【第70回・募集概要】
お題:草木に纏わる実話怪談

締切 2024年04月30日24時
結果発表 2024年05月15日
最恐賞 1名
Amazonギフト3000円&文庫収録のチャンス
優秀賞 3名
竹書房怪談文庫新刊3冊セット
応募方法 下記「応募フォーム」にて受け付けます。
フォーム内の項目「件名(作品タイトル)」「投稿内容(本文1,000字以内)」「メールアドレス」「本名」「ペンネーム」をご記入の上ご応募ください。 応募フォーム

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